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2020年7月19日 (日)

課題図書を読む『キャパとゲルダ ふたりの戦場カメラマン』

課題図書を読む『キャパとゲルダ ふたりの戦場カメラマン』

 歴史、社会情勢に弱い私は、読むのに苦戦。かなりの時間を要したけれど、それは、おもしろくて、未知の森を手探りで、一歩一歩確かめて歩くように、読んだから。ただ、残念ながら、私の知識と読解力では、読みこめないこと、理解できないことがたくさんあって、うまく紹介できていません。でも、高校生たちなら、きっと満足できる内容。そして、キャパとゲルダがものすごく魅力的。ぜひ、読んでほしいです。

キャパとゲルダ ふたりの戦場カメラマン
 マーク・アロンソン&マリナ・ブドーズ著
 原田勝訳
 あすなろ書房

 ハンガリー生まれの若者アンドレ・フリードマンとドイツ生まれの若い女性ゲルダ・ポポリレは、1934年秋にパリで出会う。アンドレは21歳前後、ゲルダより3つ年下でまだかけだしの写真家。ゲルダはアンドレの才能を見抜き、身だしなみから売り出し方まで教えはじめる。アンドレはゲルダに写真を教える。1936年の春、ふたりは写真の売り込みのため、そして、国籍・宗教・身元を隠すために、それぞれ、ロバート・キャパ、ゲルダ・タローと改名する。その年の7月にスペインの内戦がはじまり、ふたりはスペインへ行き、ともに戦場カメラマンとして活動する。

 中身のぎっしり詰まった、読み応えのある一冊だ。大量の研究資料、写真、関係者の証言をもとに、検証に検証を重ねて、キャパとゲルダ(タロー)の足跡と功績をたどっている。本文の後には、まだ明らかになっていない事実への論争、多数の登場人物の略歴、スペイン内戦にかかわった組織の説明、年表が付く。その後で、共著者のふたりは、著作までの経緯をのべ、さらに、人生のパートナーでもある自分たちの共同作業を、キャパとタローに重ねてのべる。そして最後の謝辞や情報源でも、読者ず興味をそそり、考察したくなる内容を詰め込んでいる。

 本文では、欠くことのできない3つの側面が密接に関わりあっている。第二次大戦にとつながったスペイン内戦について、当時、画期的に進歩した写真の歴史と写真が社会に果たした役割について、そして、キャパとタローについて。

 キャパとタローはともにユダヤ人だった。祖国から逃げ、たどり着いたパリで出会う。だが、そのパリも安住の地ではない。不安定で貧しい暮らしだ。でも、若さと野心があった。新しい時代のカメラもあった。
 そのカメラは、それまでの三脚に載せたものと違って、自由に持ち運び、被写体に接近してとることができた。決定的な一瞬をうまくとらえた写真には、人間の真実や物語が映りこむ。掲載されているふたりの写真を見ていると、被写体となった人たちの人生と心情、その背景が浮かび上がってくる。

 ちょうどそのころ、スペインに内線が起こる。ヨーロッパをおびやかしはじめたファシズムに対する民衆の戦いだ。男女差、年齢差、地位の高低差に関係なく、人々が一丸となって立ち上がった。「平等と共同体」(p58)であるそれは、同じ志をもって尊敬しあう、対等な男女関係を築こうとしていたゲルダとタローそのものだった。
 タローの代表作となった写真、片足の膝をついてピストルを構えるスペイン女性の写真は、女性でありながらカメラを持って戦場に飛びこんだ、タローそのものの姿に見える。

 ふたりは写真を通して、スペイン内戦の情勢を世界に伝えて訴えかけ、世界を動かそうとした。その力のある写真を撮るために、戦場で危険を顧みず、ひたすらシャッターを撮り続けただろう。
 特に、タローは、キャパがスペイン以外の世界に目をむけはじめてからも、「これは『わたしの』戦闘だ」(p182)と写真を撮り続けた。
 タローは、掲載されたいくつかの写真を見ると、いつもおしゃれで美しい。だが、キャパが撮影したもので、ひとつだけ、ひときわ異彩を放ち印象的な写真がある。岩陰で銃を構えている兵士の後ろにタローがしゃがみこみ、無邪気に空を見上げている写真だ(P179)。華奢で少女のようなタローの無防備な姿は、戦火のさなかで場違いに思える。だが、張り詰めた状況のなかでタローのいる場所だけ、ほんわかと緩んだ空気が漂う。情熱と勇気にあふれるタローの姿は、兵士たちにとって、不安や恐怖をいやし、士気を高める、軍旗のような役割を果たしていたという。そのことをタローは十二分に認識し、より強い使命感に燃えていただろう。

 そのあたりから、キャパとタローの方向が少しずれたように思う。キャパはスペインへの興味を失っていき、中国への渡航を考えていた。もっと広い視野で世界を捉え、今の世界情勢を人々に伝えたようとしたのだろう。
 また、結婚を考えたキャパに対して、タローはキャパを「コパン」(フランス語で、仲間、友人、同僚などの意)(p26)と呼んだ。このことにもふたりの微妙な違いを感じる。

 それにしても、ふたりが強い絆で結ばれ、すばらしい共同作業者であったことに違いはない。
 タローの死後も、キャパは本の冒頭で紹介されているノルマンディー上陸作戦の写真をはじめ、多数の優れた戦争報道の写真を撮り続けた。スペイン内線にも戻っている。
「キャパの一部はゲルダとともに死んだのです」(p200)と、いう友人もいたが、タローの伝記の作者は、「彼女はまるでキャパの一部になったようだ」(p230)と表現している。
 私は、「世界でもっとももすぐれた報道写真家のひとり」と称されるキャパは、タローを愛し、タローとともに生きることで、大きく成長したのだと思う。


*第66回青少年読書感想文全国コンクール 高等学校の部 課題図書。
 

2019年7月 9日 (火)

課題図書を読む『ある晴れた夏の朝』

 日本人でありながら、かなり年いった大人でありながら、自分が何も知らないとわかり、恥ずかしくなった本。

ある晴れた夏の朝
 小手鞠るい作
 偕成社

     

 物語は、今(2014年)、中学校の英語教師をしている主人公メイが、15歳でアメリカの高校生だったとき参加した、ミュニティ・センター主催の公開討論会について、生徒たちに伝えるという、入れ子になっている。

 メイは日本人の母とアイルランド系アメリカ人の父のあいだに生まれたハーフ。日本で生まれ、4歳で家族とともに渡米し、その後はアメリカで育った。
 彼女が高1から高2になる夏休み、原爆の是非を問う公開討論会に出場して欲しいと、上級生から誘いを受ける。討論会の出場者は8名で、肯定派と否定派、4人ずつに分かれて論議をかわす。4回の討論会で、公聴にきた一般市民が投票し、勝ち負けを決める。。
 原爆否定派には、メイのほかに、反戦・平和運動家として知られるジャスミン、飛び級した天才スコット、アフリカ系のダリウス。一方肯定派は、勉強・スポーツともに優秀なノーマン、ユダヤ系のナオミ、中国系のエミリー、そしてメイと同じ日系だが、両親ともにアメリカ生まれの日系であるケン。
 彼らは夏休みがはじまると、睡眠時間をも削って、徹底的なリサーチと分析をし、戦略をたてて、討論会に臨む。両派から交互に一人ずつ、制限時間内にスピーチをすることで討論が繰り広げられた。

 作品では、スピーチの内容と出場者の姿、会場の様子が、メイの視線で、メイの思いとともに語られていく。

 語られる内容は、原爆投下り理由や結果にとどまらない。真珠湾攻撃やポツダム宣言、日系アメリカ人の強制収容所といった第二次世界大戦時はもとより、南京虐殺、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク攻撃、ビキニ環礁での核実験、さらにはアメリカでの黒人やユダヤ人差別と、四方八方に、掘り下げながら広がっていく。
 冒頭にも書いたとおり、無知な私は、彼らにより明かされた事実とその分析が驚きの連続で、彼らのスピーチの内容を早く知りたくて、ページを捲り続けた。その白熱した討論会を公聴したような高揚感を感じながら。

 討論会をこんなにも面白く、熟考させるものになったのは、8人の高校生が、それぞれ違うルーツを持っているからだ。まさに、他民族国家、アメリカだからこその討論会ともいえよう。
 8人の違いは、討論に多角的な視点を与え、分析や思考をもたらす無意識下の感性や感情までもあぶりだしている。民族の違いだけではない。同じ日本人の血が流れていながら、日本で生まれ育って渡米してきたメイと、両親ともアメリカ生まれのケンとでは、全く違う。受けた教育(学校だけでなく家族や周囲の人からも)、育った環境によって、出来事の受け止め方が違うのだ。ひとりがスルーしていることを、別なひとりは重大なこととして感じる。憎しみや偏見が、当然のこととして、植えつけられていることもあるのだ。

 この討論会を通して、8人は勝敗を超えて、とある共通した認識へと向かっていく。それは、作者の願いだろう。そして、私もこの作品を全世界の人々にいま読んで欲しいと思う。


*第65回青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書。

2018年5月30日 (水)

課題図書を読む『わたしがいどんだ戦い 1939年』

 昨年の秋に読んだ作品が課題図書になったので再読しました。主人公は実の母親から信じられないほどの虐待を受けて育ちます。程度に大きな差があるでしょうが、親から認めてもらえない辛さを多くの人が知っているでしょう。認められなかった人、認めてあげられなかった人に、学ぶところの多い作品です。

わたしがいどんだ戦い 1939年
 キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー作
 大作道子訳
 評論社

     

 エイダは、右足が足首で内にねじまがって(内反足で)生まれた。母親は彼女を奇形で醜いからと家から出さないで育てた。ときには戸棚に押し込めるという折檻もした。弟ジェイミーがもうすぐ学校へ行くことになり、エイダは母親に気にいられたい、自分も外に出たいと思いから、秘かに歩行の練習をはじめる。
 1939年、戦争が始まり、ロンドンの子どもは疎開した。エイダはロンドンに残ることにになっていたが、秘かに弟のジェイミーについていき、ケント州に疎開する。二人を受け入れたのは、鬱気質の女性スーザンだった。
 その時のスーザンは、同居の親友を3年前に亡くした悲しみから、まだぬけだせずにいた。子どものことを何も知らないので、疎開児童を預かりたくはなかった。だが、引き受けたからには、できる限りの世話をしようとした。姉弟を風呂に入れ、食事をきちんととらせて、服を買いあたえ、清潔なシーツで休ませた。エイダの足を医者に診せ、松葉杖をもらい、手術をすればよくなると聞けば、母親に許可を得るための手紙も出した。こうして、姉弟の面倒を見ることで、スーザンは前向きに生き始め、心からエイダとジェイミーを愛するようになる。

 アパートの一室が全世界だったエイダにとって、スーザンとの暮らしは目新しいことばかりだ。スープをスプーンで飲むこささえ初めてだ。スーザンは自由に外へ出してくれた。外で、エイダは、スーザンが飼っているポニーと仲良くなり、乗ることもできるようになった。落馬した女の子マギーを助けて、マギーとも友だちになり、マギーの家で馬の世話をするグライムズさんとも親しくなる。

 しかしスーザンの愛情を、エイダは素直に受けいれられなかった。醜い自分に愛される価値はない、誰かに愛されるはずはないと思い、反発し、スーザンの愛情表現に怒りを爆発させてしまう。それでもスーザンは辛抱強くエイダを抱きしめ、見守りつづける。

 戦火はケント州の村にも近づいてきた。村は大勢の負傷兵を受け入れ、エイダはその介護に加わる。さらに、ある大活躍して、自信を持ち始めた頃、疎開費用を政府に請求された母親が迎えに来た……。

 タイトルにある「わたしがいどんだ戦い」、つまりは、エイダの戦い(Tge War)は、第二次世界大戦がきっかけで始まるが、大戦とは別の、エイダの自分自身との戦いだ。
 ねじれた足で歩く戦いからはじまり、アパートから外へ逃げ出す戦い、心を開く戦い、仕事をやり遂げる戦い、自分の価値を認める戦い、人を信頼する戦い、母親から決別する戦い、自由に生きる戦いと続いていく。
 エイダが戦いつつづけ、前進できたのは、エイダの中に、自分を生きようとする生命の火が燃えていたからに違いないが、それと同じくらい、いやそれ以上に聡明な女性スーザンの存在が大きい。スーザンは子ども好きではなく、愛情を振りまくタイプではない。感情ではなく理性で動く。初めは、淡々とエイダたちの世話をした。愛情を押しつけず、愛情の見返りも求めない。

 エイダにとって、愛されることは自分にふさわしくないことで、愛されると、得体の知れない、恐ろしいさを感じてしまう。そのことが、如実に表されているは、クリスマスにスーザンが、ワンピースを縫ってプレゼントしたときだ。それまでに、エイダとスーザンは、徐々に心の交流ができるようになり、エイダはスーザンに、スーザンはエイダにプレゼントを準備していた。
 きっと、ワンピースを贈られたエイダが涙を流して喜ぶだろう。私は、心にこみあげるあたたかい気持ちを感じながら、感動の場面を期待して読み進んだ。ところがエイダは、見苦しい自分にこれは着られないといって、パニックに陥ったのだ。虐待され続けて育つと、ここまで屈折してしまうものかと、私は本当に驚いた。

 極限状態から、自力ではいだし、何度も危機に陥りながら、自分と戦いに勝利しつづけたエイダ。彼女に明るい未来が開けたことに、私は、希望と大きなエネルギーをもらった。
 
*第64回青少年読書感想文全国コンクール 高校の部 課題図書

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