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児童読みもの

課題図書を読む『霧のなかの白い犬』

 この作品は、昨年に1度読んだ。そのときは、あちこちに話が飛ぶ前半にほとほとに疲れ、謎が解き明かされる後半で一気に読み終えた、読み応えがあるというより、なぜこれほど複雑に書くのか?と疑問ばかりだった。けれど、再読の今回は、あちこち飛ぶ話題の意味がはじめからわかり、そのつながりも理解でき、メッセージがよりくっきりとした。小学生高学年の課題図書としては、難易度がかなり高い作品だ。

霧のなかの白い犬
 アン・ブース作
 杉田七重訳
 橋甲賢亀絵
 あかね書房

     

 イギリスが舞台。ジェシーの祖母は認知症を発症し入院する。だが、何かに脅えていてひどくとり乱し、飼うことにしていた白い子犬を、ジェシーといとこのフラン、友だちのケイトに世話を頼む。
 ケイトはジェシーの親友で、車いすに乗っている。だが、率直で活発。スポーツも万能でシッティング・バレーボールでは、パラリンピックの出場の可能性があるくらいだ。祖母はこのケイトのことを特に心配し、JMと書いた紙きれを、ジェシーやケイトにお守りにと渡したりする。
 いとこのフランは、両親が離婚して、ジェシーと同じ学校に転校してきた。以前は親切だったが、今は祖母に対してもケイトに対しても思いやりがない。弱いものいじめをする悪い友だちとつきあっていて、生活も荒れている。
 町には外国人労働者が増えていて、人々はあまりいい顔をしていなかった。ジェシーの父親も、外国人労働者が増えたせいで、事業が立ちいかなくなり、持ち家を売り払い、フランスに出稼ぎに行ったのだ。
 ある日、祖母の家に、ドイツから宛名違いの絵葉書が届く。また、祖母の家から、白い犬をつれた少女の写真がみつかる。絵葉書の真の宛先と写真の少女の正体を探っていくうちに、ジェシーは祖母の意外な過去を知る。それは、学校でちょうど学んでいた第2次世界大戦のいまわしい歴史とつながっていた。

 第2次世界大戦の体験を語れる人の数が減ってきた最近では、あの悲劇を繰り返さないために大戦のことを語り継ぐ作品が児童文学でも増えてきたように思う。この作品は、現代の社会問題を描きだして、今があの時代に似てきていないか? 人々の考え方はななにかに踊らされゆがめられていないかか? 何かを思い込まされていないか? 警鐘を鳴らしている。

 ナチスといえば、ユダヤ人の虐殺が第一に頭に浮かぶ。だが、障害者、高齢者も役に立たないものとして抹消されていた。退廃芸術として、ヒットラーの基準にそれた絵画が押収され、音楽が禁じられ、本が焼かれた。雑種犬は嫌われ、黒毛のシェパードのみを真のジャーマン・シェパードとして認められ、ユダヤ人の飼っているペットは殺処分された。

 なぜ、人々はナチスのいいなりになったのか? 信じられないと、今の私たちは思う。ジェシーたちが学校の授業で、ちょび髭のヒットラーの演説のフィルムを見て、「どうしてみんな、こんな人についていこうと思ったのか、わたしにはわけがわからない」と思い、彼の号令で行進する兵士たちの姿を滑稽に思ったように。
 なぜ、こんな理不尽なことが許されたか?の答えを、ジェシーの同級生ベンの祖母が、学校に招かれて授業で語る。ベンの祖母は、ユダヤ系ドイツ人で、強制収容所に入れられたが生き残りだった。彼女の話は子どもたちにショックを与えた。当時のドイツの学校の教科書にとんでもないことが書かれていて、子どもたちはそれを信じていたのだ。ナチスの考えにほんの少しでも反対する人たちは、残酷な仕打ちをされて、人々はナチスの言いなりになるしかなかった。社会はナチスにのみこまれ、人々はその流れにのってしまったのだ。

 現代はどうだろう。こうした負の歴史から学んでいするはずだし、人種差別は否定されているし、言論の自由もあるから大丈夫……本当にそうだろうか? 外国人に対する偏見はないのか? 外国人が起こした犯罪を私たちはどう感じるのか? ヘイトスピーチはなぜされるのか? 私たちはどう感じてるのか? どう考えるのか? その感情や考えはどこからくるのか? 私たちだって、いつ恐ろしい道に誘導されるかもしれないし、知らず知らずもう足を向けてしまっているかもしれない。

 ジェシーは体験を通して偏見に気づいていく。外国人労働者は、ジェシーにとって、父親の事業が失敗させた原因となった人たちでとても好きにはなれない。母や町の人たちも疎ましく思っている。ジェシーの叔母も病院で祖母が外国人より優先してみてもらえないのに憤っていた。新聞にも「不法就労移民」が国民のお金を奪っていると書いてあった。なにか事件が起これば、外国労働者がまず疑われる。でも、父親も出稼ぎ先のフランスでは外国人だ。
 いとこのフランの仲間たちは、おそらく深い考えもなく、障害者や外国人労働者など弱い立場を馬鹿にしてからかう。フランは、自分の考えは違っても、その仲間から外れたくなくて、なんとなく合わせざるをえない。そうした考えのない小さなことからなにが招かれるか、フランは身を持って知っていく。
 こうして作品は、ジェシーとフラン、障害者のケイト、さらにアフガニスタンから亡命してきたヤスミンを通して、読者に社会についての自分との関係を考えさせる。

 また、昔話が、世界を理解させてくれるものとして利用されているのも興味深い。グリム童話が出版される前に語り継がれいた「赤ずきん」、ぞっとするグリム童話の「盗賊の花嫁」が作中で紹介される。ジェシーが学校の宿題で書いた現代のおとぎ話では、子どもの時のおばあちゃんを主人公にして、ナチスに翻弄された当時をわかりやすく描きだしている。『昔話の魔力』の著者ブルーノ・ベッテルハイムの名も出てきて驚かされた。
 昔話がこの世を映しだしているのなら、私たちも日々暮らすことで、自身のお話を紡ぎ出しているともいえよう。そのお話が、どうか、どんな困難があってもハッピーエンドでありますように。

*第63回青少年読書感想文全国コンクール 小学校高学年の部 課題図書

課題図書を読む『フラダン』

 表紙で6人の男女の若者が、お日さまのように明るく笑いかけてくる。タイトルから見て、フラダンスのお話のようだ。男性のフラダンスってあるの? などと思いながら読み始めた

フラダン (Sunnyside Books)
 古内一絵作
 小峰書店

     

 主人公の穰は、高2になって水泳部をやめた。同学年でそりの合わない松下が次期主将になるからだ。松下は、穣に勝手にライバル心を燃やし、弱いものに強く、強いものにへつらう。そんなやつと部活をやる気はない。とはいうものの、穣は放課後、暇を持て余す。そんな穰の前に、フラ愛好会アーヌエヌエ・オハナの会長、詩織が突然現れ、強引に入会を勧める。しかも穣の「体が目当てだ」とまで言って迫ってくる。穣はことわり続けるが、同じころ転校生がやってきて、彼と一緒に無理矢理入会させられてしまう。
 転校生は、宙彦(おきひこ)といい、前はシンガポールのインタースクールにいた。抜群に素晴らしい容姿に恵まれ、帰国子女のせいか、何をやるのもスマートだ。女の子たちにもモテモテで、すべての子に平等に愛想をふりまく。
 フラダン愛好会の会員は2年女子が詩織と副会長の基子、穣と同じクラスのマヤ。1年女子が4人。そして、1年男子は、柔道部兼任の夏目と色白でもやしのような薄葉の2人だった。
 初めは、女のやる腰ふりダンスなんか、ちゃらくて、とてもやっていられないと思った穣だが、やり始めてみると、意外に身体能力が必要で、きついとわかる。フラダンスやタヒチアンダンスの歴史を読んでその深さを知り、会員たちの真剣さに打たれる。練習を重ね、慰問訪問へいくうち、次第にフラダンスにのめりこんでいく。
 詩織たちの目標はフラガールズ甲子園の男女混合フラでの優勝だった。
 入会者がさらに増え優勝まっしぐらのはずだったが、あることで詩織がショックを受けて落ち込み、会員の間にも亀裂が入り……。

 こうあらすじを書くと、友情と恋愛をからめた高校生の熱血部活物語と思われるだろう。確かにそうなのだが、実は、ずしんと重いテーマを抱え込んでいる。舞台が福島県立工業高校といえば分るだろう。転校生の宙彦以外は、みな小学生(穣は6年生)だった時、震災に遭っているのだ。だが彼らを「被災者」とひとからげにしてはいけない。それぞれ事情が異なる。被害のほとんどなかったもの、家族をなくしたもの、家をなくしたもの、家はあるのに帰還困難区域のため帰れないもの、原発の関係者家族……。被災者の苦しみは、いろいろな感情や思いが複雑にからみあい、被害者同士でも計りかねている。だから、互いに口にすることを避けてしまう。思春期で、ただでさえ他者を意識し始めるころに、常識を覆す不条理な体験をし、極端な差が生まれ、その混沌から抜け出すことができずに立ちすくんでしまう。自分では何もできない。それを主人公の穰は「閉塞感」と言っている。作品では、それぞれ事情の異なる高校生たちが、フラダンスをともにする中で、自分のことを語りはじめ、ぶちまけ、分かりあい、開放的になっていく。
 福島から遠く離れた地に住む私は、福島の子どもたちが、現在も体験している苦しみをまったく気付いていなかったので、まずその実情に驚かされ、読んでよかったと思った。

 だがこの作品のすごいのところは、このように重いテーマをしっかりと伝えながら、とんでなく楽しく読ませてくれることだ。まず、物語を、穣の心の声が高校生らしい視点と言葉で語っていくのだが、それがとても軽妙で、非常に面白い。空気を読まずに入会を迫る詩織(ストーカー女)と宙彦(シンガポール男)を「非日常コンビ」と呼び、色白をかくすために全身に濃いファンデーションを塗られたもやし男子を「瀕死のナナフシ」と比喩する。自分を慕っていると思いこんでいるマヤへの敏感な視線と、マヤの言動への穣の気持ちの微妙な揺れや、穣と宙彦の軽いノリの会話も楽しく、わたしは何度も吹き出しそうになって読んだ。その同じ口が、震災なシビアな側面を真剣に語っていくと、心にずしんと入ってくる。
 登場人物がすべて個性的で、際立っているのもいい。とくに宙彦は日本人に珍しいタイプだけに楽しい。震災を体験していない帰国子女の彼が登場人物に加わることで、風穴をあけ、希望を吹きこんだといえるかもしれない。外見がまったく違うけれど仲のよい1年生男子の夏目と薄葉のつながりには泣かされた。そして、ひときわ魅力的なのは、後半にでてくるヤンキーな浜子だ。包み隠しのないまっすぐな人だと思う。表紙裏に並んで描かれているのはこの浜子ともやしみたいな薄葉。読み終わって見て、ふふっと思う。

 クライマックスは、フラガールズ甲子園でのパフォーマンス。課題曲の歌詞と彼らの思いが重なって、全力で踊る彼らに涙が止まらなかった。愛好会の名前、アーヌエヌエ・オハナ(虹のファミリー)ができあがる瞬間を見ることができた。

 さて、エピローグのラストを手帳に書き写しておきたいと私は思う。現実社会を生きていて、ときに閉塞感に襲われるとき自分をはげますために。
 
*第63回青少年読書感想文全国コンクール 高校の部 課題図書

 面白く読めるし、考えさせられるところがたくさんあるし、読書感想文が書きやすいんじゃないかと思う。

課題図書を読む『ぼくたちのリアル』

 第56回(2015年)講談社児童文学新人賞をとった作品。出版されて、2017年の児童文芸新人賞・産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞し、さらに課題図書に選ばれた。今を生きる作品です。

ぼくたちのリアル
 戸森しるこ作
 佐藤真紀子絵
 講談社

     

 ぼく、新学期、飛鳥井渡は5年生になって、はじめてリアル(璃在)と同じクラスになった。リアルとは家が隣同士だけれど、それほど仲がいいわけではない。というか、一緒のクラスになるのは浮かない気分。リアルがスポーツも勉強もなんでもできてカリスマ性がある人気者なのに、ぼくは地味でコンプレックスを感じるからだ。リアルは「アスカ」と、ぼくの幼稚園の時のあだ名を呼んで親しげにしてくる。転校生の美少年サジにも親切で優しい。先生には軽い友だちのような口調で話しかける。
 リアルを敬遠していたぼくだが、班がいっしょだし、分団がいっしょだし、なんだかんだと一緒に行動することが多くなる。リアルにたちまち魅了されたサジも、いつもふたりのそばにいた。
 7月になり、リアルが少しだけおかしい。そういえば毎年そうだった。それは、リアルが負っていた、ある過去の傷が関係していた。

 リアルが背負うものは、想像を超えるほど重い。その一方で物語は、クラス替え、学級委員決め、分団登校、合唱祭、林間学校といった、どこにでもある学校生活を丁寧に描いている。そのため、読者の子どもたちは、リアルの特異な過去も、自分たちのリアルな日常の延長としてリアリティを持って読むことができるだろう。

 リアルは、お調子者のように軽く振る舞いながら、実は、だれも傷つかないように考えて行動する。主人公のぼくはリアルのすごさに気づき感服する。私も、これほどまっすぐでいい子はそうそういないと不思議に思った。だが、リアルの苦しみを知った時、なぜリアルが人を傷つけるのをこれほど避けるのか分かった。リアルが罪悪感と寂しさを忘れるにはこうするしかなくて、精いっぱい気張っていたのだろう。リアルはわがままが言えないのだ。
 サジは、児童文学には新しいキャラクターだ。この作品では、転校生であることもあって、守ってあげたくなる存在だ。繊細な感性を持っていて、一見弱々しく見えるけれど、自分の気持ちに忠実に行動する。リアルと対象的かもしれない。
 主人公の渡は、リアルとサジに振り回されながらも、いつのまにか楽しい時を過ごしている。そして、幼馴染のリアルを遠ざけてきたのは、リアルが恰好よすぎるからはなくて、リアルに触れてはいけない秘密があって、それを知るのが怖かったからだと気付く。リアルの方も、気持ちに整理がついてなくて、口に出すことができなかっただろうし、渡がどこまで知っているかもわからなかった。
 渡とリアルは、互いを慮って遠ざかっていた。だがそこに一途なサジが加わることで、本当のことを話せるようになっていく。

 それにしても「ぼくたちのリアル」とは素晴らしいタイトルだ。璃在という名前のリアル、リアルに描かれている学校生活のリアル、璃在に隠されていたリアル。
 そして、私たちも自分のリアルを生きている。

*第63回青少年読書感想文全国コンクール 小学校高学年の部 課題図書

課題図書を読む『月はぼくらの宇宙港』

 ロケット、宇宙開発に興味がある子にお薦め。大人が読んでも十分な読み応えがあります。

月はぼくらの宇宙港
 佐伯和人作
 新日本出版社

     

 作者は、現在大阪大学理学研究所宇宙地球科学専攻准教授。JAXAの月探査「かぐや」プロジェクトでは研究員、月探査SELENE-2で主査を務め、現在は月探査計画SLIMにもかかわっているという理学博士。このかたが、「月がどんな天体か」から始まって、人類が月を探査してきた歴史、今後の探査や開発の展望までを、小中学生向けに語る。内容はかなり専門的で濃厚なのだが、まるで、目の前にいる子どもたちに教えるように、言葉を噛み砕き、身近な現象や図で説明し、さらに家にあるものでできる実験を示して、宇宙での現象を納得させてくれる。ここまで詳しく教えてもらえるのは、宇宙に興味ある子には、たまらなく魅力的な本だろう。
 だが、宇宙にさほど興味のない私には、正直いってかなり読むのが大変だった。「地球のまわりを公転する月と月の満ち欠けの図」(p34 図1-2)を示して、著者が「『夕方に東の空から上がってくるのが満月』などとおぼえるのは苦手」だったれど、「この図をみつけて自分で描いてみたところ、ようやく月が見える時間と方角と形の関係がわかりました」と書いていたけれど、わたしは真逆。学校の教科書でこの図を見て、まったくわからず、理解するのを諦めたからだ。天動説のほうが感覚的にしっくりきてしまうのかもしれない。そんな私でも、いくつかは驚きをもって読んだ。
 そのなかのひとつは、月が(地球から見た)表側と裏側で近くのでき方、成分が違うことだ。アポロが着陸したのは、安全な月の表側の平坦な場所だったので、月の表面のでき方を調べるのにふさわしくなかったという。そして、月の裏側に世界ではじめて着陸するのはどうやら中国らしい。でも、いま日本で計画中のSLIMも、裏側にピンポイントで軟着陸に挑戦の予定とのこと。なんとも楽しみではないか。
 作者は、早くて20年後、遅くても50年後には月基地ができて、そこでエネルギーや野菜つくれるようになるといっている。本当なのだろうか? 自分の知らない世界で、調査や技術がどんどん進んでいる。あとがきが書かれた2016年9月現在から、進行形で進歩しているはずだ。だから、宇宙に興味のある子は今、ぜひ読んでほしい。

*第63回青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書

課題図書を読む『ホイッパーウィル川の伝説』

 二人の作者が、それぞれに二つの世界を著して、うつくしいアンサンブルを奏でた作品。 

ホイッパーウィル川の伝説
 キャシー・アッペルト
 アリスン・マギー 共著
 吉井知代子訳
 あすなろ書房

     

 11歳のジュールズは7年前にママを亡くしたが、石集めに興味を持ち、1歳上の姉シルヴィとパパと幸せに暮らしていた。シルヴィはいい姉だけれど、とても足が速くて時々ジュールズをおいてけぼりにして、ジュールズを怒らせる。
 家の敷地の森に流れるホイッパーウィル川には、願い石を投げこむと、切なる願いが叶うと言われる奈落の淵があった。淵には近づいてはいけないとパパに言われていたけれど、子どもたちは石を投げに行った。足の速いシルヴィの願いは「もっと速く走れますように」。友だちのサムは、今は「ピューマに遭えますように」。少し前まで「アフガニスタンに出征した兄のエルクが無事にもどってきますように」だったが、願いがかなえられて兄が帰ってきたのだ。でも、エルクは元の楽しい兄ではなかった。一緒に出征した親友のジークは戦死してしまったからだ。
 その年最後の雪が降った春の日、シルヴィは奈落の淵にひとりで走っていき、そのまま行方不明になる。ジュールズは、姉を失ったことを受け入れられなかった。あの時、姉をどうしてひきとめられなかったのか? 後悔しジュールズの心は乱れるばかりだ。

 その頃、森で3びきの子ギツネが生まれる。その中の一匹、メスのキツネのセナは、ただのキツネではなく、ケネンだった。ケネンとは魂とつながるもので、なにかを助けるためにやってきて、使命を果たしたら祖先のいる安息の地に戻るといわれていた。森を歩き回るようになったセナは、悲しみの中にいるジュールズをみつけ、つながりを感じる。
 森には一度いなくなったといわれたピューマが戻ってきていた。そのピューマはいつも、森を歩き回るエルクのそばにいた。セナは、ピューマがエルクのケネンであると感じていた。

 ジュールズは、出征前エルクから、もしふたりが戻らなかったら、森のどこかに隠されているといわれる石の洞窟を探して、この2つの石を納めてほしいと、メノウ石を渡されていた。ジュールズは頼られて嬉しかったが、一人だけ戻ってきたエルクにその石を返せないでいた。
 姉を失くしたジュールズには、エルクの苦しみが痛いようにわかった。そして「石の洞窟をみつけたい」と、切に願うようになる。姉の事故以来、パパから森に入るのを禁じられていた。だが、とうとうある日、パパとの約束を破って、森に踏み入り、親友の死を悼むエルクと、その近くにいたヒョウを見る。そして、あのキツネ、セナと出会う。

 ジュールは石の洞窟をみつけられるだろうか? 石の洞窟に隠された秘密は? 姉のシルヴィはなぜそんなに速く走りたがったのか? キツネのセナは、どんな使命を果たすか?

 なんとも不思議な、神秘体験をしたような読後感だった。
 物語は、ジュールズの視点から描いた人間世界のストーリーと、母キツネとセナの視点から見たキツネ世界のストーリーが別々に、並行して語られていく。だから、ジュールズたちは、セナがケネンであることを知らない。けれども、私たち読者は知っていて、人間と動物との心の交流というより、もっと深いところの魂のつながりを感じる。

 身近な人の死は受け入れられがたいもの。それが、シルヴィとジュールズのママのように突然だったり、アフガニスタンで戦死したジークのように不条理なものだったり、シルヴィのように行方不明のままだったりしたらなおさらだろう。残されたものを癒すのは、時間、死者とのひそやかな語らい、死者への理解……。
 主人公が姉の死を受け入れ、前進していく過程を、ケネンの存在なしに、現実世界だけで感動的に描くこともできたと思う。というのも、姉シルヴィの思いを、ジュールズが理解していくところが、私にはいちばん胸に響いたからだ。
 現実世界に、スピリチュアルな世界を持ちこむことで、より美しく静謐な雰囲気を醸し出し、読者の心に静かに染みわたる作品となっている。

 ところで、人間を守るケネンという存在が私には、神秘的だけれど、一方で、人間を中心にした都合のよい存在に思えてならない。その違和感は、自然観の違いであり、私が、美しく切ないラストに納得できず、物足りなさを感じた所以でもあるだろう。

*第63回青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書

課題図書を読む『チキン!』

 今年の課題図書、読みはじめました!! まずは、市立図書館の新刊コーナーに飾ってあったこの本から。図書館では、この時期、夏休みに備えて、課題図書をそろえているのですね。
 作者いとうみくさんの作品は昨年度も『二日月 (ホップステップキッズ!)』で課題図書に選ばれています。実はまだ読んでいなくて……近いうちに読みたいな。

チキン! (文研じゅべにーる)
 いとうみく作
 こがしわかおり絵
 文研出版

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 小学6年生の日色拓は、小さなときから気弱で、苦い経験を重ねるうち、争い事を避けるようになった。その拓のクラスに、とんでもない転校生がやってきた。真中凛。ほんの少しでも曲がったことをした人を見逃さない。真正面から注意して、反省を促す。それまでクラスの女子たちは、リーダー格の仙道さんを敵に回さないように気を使ってきたが、凛はその仙道さんをもぴしゃりと注意する。凛のせいでクラスにもめごとが起き、女子の中で凛は孤立していく。
 拓はできることなら関わりたくなかったが、席が凛の前で、仙道さんの隣。その上、家が拓の住むマンションの隣。その家は、家族のように親しくしている麻子さんというおばあさんがひとり暮らしをしていたのだが、なにかの事情で凛が、しばらくいっしょに暮らすことになったらしい。麻子さんに孫をよろしくと頼まれるし……拓はいくら自分は関係ないと思っても、凛の言動を見ないでいることはできない――。

 みんな無邪気に仲良しとはいかないのが、高学年のクラス。そんなクラスの様子が、数人の登場人物でリアルに描き出されている。クラスには、目に見えない力関係が存在する。といっても、男子と女子は違う。腕力がものをいう単純な男子と、仲良しグループがあって、そのなかでも悪口や陰口があり、ちょっとした関係で力関係がひっくりかえる複雑な女子。子どもたちはそれぞれ自分の位置を見極めて、その子なりに巧く立ち回ろうと努力する。つまり空気を読んで、振る舞う。
 そうして力関係が定まり、表面的に均整とれていたクラスに、爆弾を落として、揺るがしたのが真中凛だ。
 なにしろ、凛の正義感の強さ、とがった率直さは強烈だ。転校初日、音楽室でバッハの肖像画を見て、髪の毛がマジキモーイといった子を、「相手(肖像画)がいいかえせないのに悪口いうのは許せない、謝れ」と咎める。読んでいて、さすがに、ついていけない気がした。凛は空気を読めないわけでない、読んでいても無視。なにより自分の正義感を優先して、名前通り、不正をみつけたせ真ん中に突撃していく。
 拓は、クラスから一歩離れて、トラブルにまきこまれないよう外から見ている。心やさしくて、自身も他人も傷つくが耐えられない。空気を読めば、悩んで傷つきそうだから読まない。なにより平和であることを優先する。
 自分のカプセルの中でゆったりと暮らしていた拓が、凛のせいで、さまざまなトラブルに見舞われる。凛の融通のきかない正義感を、まちがってないけれど正直うざいと思い、女子の権力闘争に巻き込まれ、女子の怖さを思い知り、毎日散々だと嘆く。このあたりの拓の不満と狼狽ぶりは、とても共感できる。だか、ユーモラスに描かれていて、拓には悪いけれど笑ってしまった。
 読み進めるうち、凛の行き過ぎた正義感や鋭どすぎる言動にわけがあること、その言動が人を傷つけるだけでなく彼女自身も傷ついていることがわかってくる。凛は、正しければ、何をどう言ってもいいわけではないことに気づいてもいく。
 凛も、拓も、クラスの子たちも、それぞれが、自分と違う価値観に感化され、変わっていくのだ。

 さて、読み手の子どもたちはかならず、登場人物の誰かに、自分や友だちをみいだせるだろう。私も元女子だから分かる。女子なら、リーダーの仙道さん、金魚のふんの久田さん、おとなしい藤谷になった覚えがあるはずだ。凛になった覚えがある子もいるたろう。男子は、ボスの嵐君と情報通なのを自慢な本馬君と拓と、シンプルに書きわけられているが、嵐君も本間君も憎めない。とくに後半は、ふたりともいい奴感があふれてくる。これは、主人公の拓がクラスの部外者から少しずつ中に入っていった証拠なのかもしれない。
 学校は小さな社会。クラスの人間関係は煩わしいけれど、その中でもまれるのはとてもいい社会勉強だ。この作品では、拓と凛だけでなく、すべての登場人物が、明るい方向へむかって終わっていて、読後感がとてもいい。

*第63回青少年読書感想文全国コンクール 小学校中学年の部 課題図書

課題図書を読む『さかさ町』

 ルイス・スロボドキンが挿し絵をつけている本。彼は、1975年にすでに亡くなっているけれど、その作品は、今もなお、読み継がれるばかりか、新たに邦訳され続けている。ユーモラスな動きのある線が私は好き。そのルイス・スロボドキンの作品が課題図書というのは、とても嬉しい。

さかさ町
 F.エマーソン・アンドリュース文
 ルイス・スロボドキン絵
 小宮 由訳
 岩波書店

     

 リッキーとアンの兄妹は、おじいちゃんの家に行くのに汽車に乗っていた。でも、行く先途中の線路の橋が壊れたために、橋が直るまで、「さかさ町」で待つことになった。
「さかさ町」は名前の通り、さかさまのルールがある、奇妙な町だった。看板は上下さかさまになっているし、自動車は後ろ向きに走り、家は、屋根と天井がさかさまになって建っている。
 リッキーとアンが泊まったホテルも、外から見ると2階建てだけれど、客室は地下にある。ベッドは、頭の方側の掛布団がマットレスのしたに入れこんであって、足の方側から入るようになっている。ホテルで働いているのは子どもで、年をとったら遊んでいていい。
 再び汽車が動き出すまでのあいだ、リッキーとアンは、レストラン、病院、野球、小学校、ショッピングセンターを巡り、さかさまの世界を満喫する。

 なんとも楽しいお話だ。さかさまだと、不便だったり不都合があったりするのじゃないかと思うのだが、むしろその逆。たとえば、上下さかさまの家では、屋根が平らだから、屋根にヘリコプターがとまれるし、地下にある客室は、高層階の部屋より涼しくて、安全で静かなのだ。
 さかさまのルールでは、価値観がひっくり返る。すると、前より素敵なルールになったりするから、不思議で面白い。病院や、アンストアーと呼ばれるショッピングセンターでの、私たちの世界とは、まるきりさかさまの支払いシステムは、なるほど、理にかなっている。このルールなら、健康保険も失業保険もいらなくて、弱者にやさしい、平等な社会ができそうだと、膝を打って感心した。

 このお話は、一見、ユーモアたっぷりの、でたらめなうそっこ話のようだが、実はとても奥行きが深い。ものごとをまったく逆から見ると、まったく違うものが見えてきて、常識がひっくりかえったり、新しい発想が生まれたりする。その意外性や発想の広がりがとても楽しくて心地よい。この本は、常識の域内だけにとどまっている私たちに、一歩外へでて、多角的な見方と柔らかな考え方をするようにと促してくれるのだ。

 ただ、翻訳本のため、日本の子どもたちには、レストランの料理や指ぬきなど、生活でのなじみがあまりなくて、ぴんとこない部分があるかもしれない。でも、それは、ほんの一部。中学年以上の子なら、十分にこの発想の転換を楽しめると思う。さらに、読後に、さかさまに考えるゲームなどしたら、もっと楽しいだろう。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 小学校中学年の部 課題図書

課題図書を読む『大村智ものがたり』

 昨年、2015年の日本人ノーベル賞受賞者はお二人だった。そのうちのおひとり、生理学・医学賞を受賞された大村智さんの伝記。10月5日に受賞が発表されて、この作品が出版されたのが12月15日で、作者あとがきの日付は11月9日になっている。受賞が決まってからの執筆なら、なんというスピード! 作者は、新聞社出身の科学ジャーナリスト。以前から大村先生を取材され、2012年には、すでに『大村智 - 2億人を病魔から守った化学者 』(中央公論新社)を出版されている。

大村智ものがたり~苦しい道こそ楽しい人生
 馬場錬成著
 毎日新聞出版

     

 大村先生の経歴は、すでにあちこちで報道されたが、この著書に書かれたものをまとめると次のようになる。
 山梨県の農家の長男として生まれ、10歳のときに終戦をむかえる。地元の高校を卒業して山梨大学に入学。東京で夜間高校の教師をしながら、勉強して2年後に東京理科大学大学院に入学。教師も続けながら大学院で学んで博士論文を書く。3年後に結婚して、山梨大学に戻って助手として働くが、2年後、29才でで再び上京して北里研究所の研究員となる。そこで書いた論文で、東京大学で薬学博士号、東京理科大学では理学博士号を取得し、36才でアメリカのウエスレーヤン大学に留学。2年で帰国し、留学時代に取り決めたメルク社との共同研究を始め、1975年北里大学薬学部教授になる。そして、ゴルフ場の土を培養した微生物が作った化学物質から、動物の寄生虫やダニを殺すエバーメクチンを発見。エバーメクチンを改良して、人間の寄生虫に効くイベルメクチンを開発。この感染症の治療法の業績でノーベル賞の受賞となる。

 高校教師というまわり道はあるものの、とんとん拍子の華々しい研究者人生だ。その陰には、人の何倍もの努力があっただろうし、苦しみもあっただろう。本書でも、「徹夜で実験するのは慣れている」(p96)、「朝6時に研究室に出勤する」(p106)、「精神科へ行くと、医師から研究に熱中し過ぎているので何か他の楽しみをもちなさいと言われました。」(P115)と、書かれている。
 だが、本全体から受ける大村先生の印象は、とても精力的で、努力を苦とせずに、前へ前へと進んでいくのを楽しんでいる。
 小学校から大学までは、勉強よりもスポーツに夢中だった。高校では卓球部とスキー部。卓球では部長を務め、スキーでは、県大会・県インターハイで優勝している。スキーは大学に進んでも続け、体力をつけるために、大学までの15キロを走って通った。
 好きなことには熱中して打ち込み、結果を残せる。優れた資質を持っている。

 また、大村先生はすばらしい両親のもとで育ち、人との出会いにも恵まれた。戦時、敵国の英語を子どもたちに内緒で習わせたお父さん。「教師たる資格は、自分自身が進歩していること」(p40)と日記に書いていた元教員のお母さん。スキー指導員の横山先生は「人のまねではその人のレベルどまり」と教え、大学院の都築先生は、論文を英語で書くようにと指導した。こうした、先見の目をもち、自分を磨く人たちの言葉や行動を、大村先生は吸収してエネルギッシュに行動に移した。目上の人だけでない、夜間高校で教えた生徒たちからも、「勉強の重要性とそれに向かう意欲」(P99)を学んだ。そうした大村先生のひたむきな姿を見た人が、また大村先生に目をかけて引き上げる。
 引き上げられるのを待つだけではない。大村先生は、自分からも積極的にはたらきかけて、チャンスを引き寄せた。アメリカへの留学は、まずアメリカを回って教授たちと交流し、帰国してから自分を売り込む手紙を5つの大学に出して獲得した。
 人からパワーをもらって、そのパワーを発散して人に与え、また人からもらって……と、パワーは、人とのつながりの中で好循環し、人間として、研究者として、大村先生はどんどん伸びた。
 熱中していることには、苦労を惜しまない。どんなに苦しくとも楽しめる。それが大村先生なのだ。
 考えても見てほしい。ノーベル賞につながった化学物質をみつけだすまでに、大村先生率いる研究者たちが、どれだけのたくさんの場所から土を採取し、どれだけの回数、培養したことか――。
 大村先生のような精力的な生き方は、なかなかできないし、能力がないからとあきらめてもしまうだろう。でも、どんなことも楽しんで精いっぱいやろうと心がけることはできる。すると、きっと、世界が違ってくるだろう。
「至誠天に通ず」(p183)。大村先生から頂いた言葉を、心にとめておきたい。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 小学校高学年の部 課題図書

課題図書を読む『タスキメシ』

 お正月の2日と3日に行われる箱根駅伝を、毎年、テレビで観戦している。学校の名をらおって襷をつなげていく団体競技は、ランナーに残酷なほどの使命をあたえる。その使命を果たそうとひたすら孤独に走り続けるランナーが、炬燵にはいってぬくぬくしている私を感動させてくれるのだ。
 箱根駅伝から始まるこの作品では、選手がそこにいたるまでのドラマが描かれる。なぜか、お腹が鳴るほどおいしそうな料理とともに……。

タスキメシ
 額賀 澪作
 小学館

     

 真家春馬は箱根駅伝の花の2区の中継ラインにまっさきに立って、1位で走ってくるランナーを待っている。春馬には、3度目の箱根駅伝だ。1位から遅れること10メートル、2校のランナーが姿を見せ、その2大学のランナーが、中継ラインの春馬に並んだ。高校の先輩、助川と、高校の時のライバル校の藤澤だ。
 襷を受取り、先頭で走り出した春馬は、1歳上の兄、早馬が走る姿を思い浮かべた――。

 そこから、話は突然、兄、早馬の高校3年生の初夏にさかのぼる。早馬は高校2年の冬に右膝を剥離骨折して手術をうけた。いまは、リハビリをし、陸上部で軽いメニューをこなしている。少しずつ身体をならせば、夏のインターハイ予選を目指せるはずなのだが、一向に練習に身をいれず、ぐだぐだしていた。
 そんな早馬に、担任で料理研究部顧問の教師が、調理実習室に食材を持っていく使いを頼んだ。その日から、早馬は料理研究部に入り浸るようになる。料理研究部の部員は、3年女子の井坂都ひとり。都はそっけない態度で、言葉使いも荒いが、料理の腕は抜群だった。早馬は料理を覚えて弟の春馬に食べさせようとした。兄弟の家は父子家庭のため、食事が貧しくがちなのに、弟の春馬は加えて、恐ろしい偏食だった。自分より走る才能のある弟が、あんな食生活では故障しかねないと思うのだ。
 そんな兄を、弟の春馬は、美味しい料理を喜んで食べながらも、不満に思っていた。兄にはリハビリをして、陸上にもどってきて欲しい。だが、長距離走者として致命傷ともいえる膝の手術した兄の思いを、故障したことのない春馬には推し量ることができず、強くは言えなかった。
 陸上部の部長の助川も、複雑な思いで早馬を見ていた。早馬がリハビリをさぼって、都調理実習室に通い、都とふたりきりで料理することも気になった。けれども、本人の意志に任せるしかないと考えていた。
 都は、家庭の事情を抱えていて、ひとりで料理するのが好きだった。だが、早馬の苦しみを感じ取り、料理がなにかの救いになるのならいいと考えた。それに、だれかと料理するのもいいと感じはじめていた。

 こうして高校時代を、早馬、春馬、都、助川が交替で語り、そのあいまに、箱根駅伝での春馬の走りを、春馬自身が語る。さらに、都と助川の小学生時代の思い出話もはさまり、時系列はかなり前後する。そのなかで、早馬がどう決心するか、その決心に、春馬、都、助川がどう関わったか、逆に早馬が三人にどんな影響を与えたかが次第にはっきりと見えてくる。大学4年の早馬が箱根駅伝の日にどうしているかは、読者をじらすように伏せられ、おしまいの方で明かされる。そして箱根駅伝2区の勝負は……。実にうまい構成で、読み進むほど、面白い。
 本人ですらわからない、複雑な登場人物の心境も、よく伝わってくる。弱身をもったもののひがみ、不安、追われるものの苦しみや焦り、逃げの気持ち、それを隠そうとするごまかしなど、情けないけれど、だれもが持っているに違いない負の感情が丁寧に描き出されている。
 辛い家庭環境で育って負の感情を味わい尽くした都は、早馬、春馬、助川にさばさばとした思いやりで接する。そのことが、彼らに自分や相手の本当の思いを気づかせる助けになっていく。
 素質、運、環境……人は決して平等ではない。だから、自分の置かれた場所で、もがきながら、恰好悪くても、前を向いて生きる。それしかない。

 ところで、この作品のさらなる魅力は、都と早馬のつくるおいしそうな家庭料理だ。細かなレシピはなく、ざっくりと描写してあって、物語に溶けこんでいる。その都らしいざっくり感がいい。しかし、手際よく、心憎い心づかいがあり(そしてこの心づかいが味を左右するのだ)、主婦としては、その技を盗みたくなる。特に取り入れたいのは、水だしティーポットでつくる、鰹節と昆布のだし汁。そのだし汁を使う和風ピクルスも作りたい。今の季節なら鯵のなめろうが美味しいだろうか。
 作者は料理上手? 小学館文庫小説賞受賞、松本清張賞をW受賞したという、まだ20代の若い才能。ほかの作品もぜひ読んでいきたい。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 高校の部 課題図書

課題図書を読む『ABC! 曙第二中学校放送部』

 タイトルを見て、昨年夏に放映されていたドラマ『表参道高校合唱部!』が頭に浮かんだ。芳根京子ちゃん(秋からの朝ドラのヒロイン役とのこと、楽しみにしている)のまっすぐな演技がすがすがしかった。ああ、若いっていいなあ、仲間っていいなあ!と、私には遠い日々の、きゅんきゅんした気持ちを思い出したりもした。
 さて、この作品は……。
 
ABC! 曙第二中学校放送部
 市川朔久子作
 講談社

     

 4月、みさとは中学3年生、放送部の新副部長になった。というものの、いま部員は部長の古場とみさとの2人きりで、放送部は廃部寸前だ。古場は機材担当で、みさとは苦手なアナウンスを一手に引き受けなければならなかった。もともと、みさとはバスケット部で、2年生のとき事情があって放送部に移ったのだ。
 顧問の須貝先生の提案で、部員を増やすために、週1回のお昼の放送を開始する。そのかいあってか、1年生の新入会員珠子が入ってきた。
 同じころ、転校生の葉月が放送室へ訪れるようになった。防音室で叫んで怒りをぶちまけるためだ。葉月はみさとと同じクラスで、息をのむほど美しいのに、凛として近寄りがたい雰囲気があった。前の学校では放送部にいて、放送コンクールの朗読部門で入賞している。だが、なぜか入部を拒んだ。それでも、アナウンスはしない、入部をだれにも秘密にするという形で入ってくれる。
 肩を痛めて野球部を休部していた長身の新納も入部してきた。新納もみさとと同じクラスで、みさとにとって、とても気になる存在だ。嬉しいけれど、新納の入部は、葉月が目当てだろうとみさとは考えている。
 葉月のアドバイスでみさとのアナウンスは上達した。お昼の放送は生徒たちの評判もよい。須貝先生は夏の放送コンクール地区大会に参加すると言い出した。みさとはアナウンス部門にエントリーし、部全体でもラジオ番組作品を出すことになった。
 部員たちは前向きにがんばる。葉月も様々なアドバイスをして助けてくれる。しかし、多難だった。学校がラジオ番組制作を検閲して邪魔してくるし、みさとは練習しても思うようにアナウンスできずに焦るばかりだ。
 みさとは、葉月が自分よりずっとアナウンスがうまいのに、頑なにラジオ番組への出演を拒むのを非協力的だと腹立たしく思った。とうとう、ふたりはぶつかる。
 みさとは葉月は仲直りできるのか。放送コンクールの行方は。葉月がアナウンスや声の出演を拒むのはなぜか。みさとの新納への思いは……。

「チクチク言葉」と「ふわふわ言葉」という言葉を、聞いたことがあるだろうか? 人を傷つける「チクチク言葉」と人を幸せのする「ふわふわ言葉」だ。私は近所の小学生から教えてもらった。たとえば「ブス」とか「死ね」はチクチク言葉になる。
 また、「大きな声で挨拶しましょう」と大人は子どもに教えていう。出会った人と挨拶しあうは気持ちがいい。
 大人たちが教えていることは正しいだろう。でも、本当は言葉はそんなに単純ではない。言葉や挨拶の裏にどんな思いが込められているのか、受け手がどんな状態なのか、いろいろな条件が重なって、意味が違ってくる。何気ない普通の言葉が、気づかないまま人を傷つけること、天にも昇る心持にせさることもある。
 言葉はとてつもなく大きな力を持っているのだ。
 言葉とその力について、学校生活、とりわけ部活動を通して、じっくりと考えさせてくれるのがこの作品だ。学校生活のなかでの小さないやがらせやいじわる、部活仲間・友だち関係のこじれ、先生への不満・反発など、中学生なら心当たりがありそうなことが、ていねいに描かれている。
 登場人物のほとんどは、どこの中学校にもいそうな生徒だが、そのなかでひとりだけ際立つ子がいる。美少女の葉月だ。その美しい姿を見るために他校から男子生徒が校内に忍び込んだため、学校は彼女を問題視し、葉月にマスクをするように注意した。学校のとった態度の是非はさておき、いったいそれはどんな美しさだろう。
 だが、この美少女は、無愛想で、他の女子に鋭い声で「ブス」と言い放ち、防音室で「むかつく、むかつく……」と大声で連呼する。見た目と発する言葉に、ものすごいギャップがある。ギャップはそれだけではない。「チクチク言葉」で人を刺す彼女が、実はいちばん言葉に敏感で、言葉の持つ力の大きさと怖さを知っている。
 逆に「チクチク言葉」を使わずに人を傷つけるのがうまいのが、転校生の葉月から最初に「ブス」呼ばわりされる亜美だろう。主人公のみさとは、亜美の言葉にずいぶん嫌な思いをさせられるが、やり返すことはない。裏のない言葉を使うみさとに葉月は心を許していく。
 教師側では、顧問の須貝先生と生徒指導の古権沢先生が、好対照となっている。須貝先生は新任で若いこともあって、生徒たちに考えが近い。
 一方、古権沢先生学校権力の権化みたいな存在で、みさとたち放送部を敵視し、もっともな理屈で、さまざまな難癖をつけてくる。さすがにここまで融通が利かず愚かな先生を私は見たことがない。だが、現在進行形の中学生は、学校で理不尽な思いをすることがあって、古権沢先生のような敵役にリアリティを感じるかもしれない。
 放送部がある中学校は、私の暮らす地方ではほとんどないように思う。けれども、部活動はちがっても、等身大の中学生がいる物語だ。多くの中学生の共感を得られるだろう。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書

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