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児童読みもの

課題図書を読む『月はぼくらの宇宙港』

 ロケット、宇宙開発に興味がある子にお薦め。大人が読んでも十分な読み応えがあります。

月はぼくらの宇宙港
 佐伯和人作
 新日本出版社

     

 作者は、現在大阪大学理学研究所宇宙地球科学専攻准教授。JAXAの月探査「かぐや」プロジェクトでは研究員、月探査SELENE-2で主査を務め、現在は月探査計画SLIMにもかかわっているという理学博士。このかたが、「月がどんな天体か」から始まって、人類が月を探査してきた歴史、今後の探査や開発の展望までを、小中学生向けに語る。内容はかなり専門的で濃厚なのだが、まるで、目の前にいる子どもたちに教えるように、言葉を噛み砕き、身近な現象や図で説明し、さらに家にあるものでできる実験を示して、宇宙での現象を納得させてくれる。ここまで詳しく教えてもらえるのは、宇宙に興味ある子には、たまらなく魅力的な本だろう。
 だが、宇宙にさほど興味のない私には、正直いってかなり読むのが大変だった。「地球のまわりを公転する月と月の満ち欠けの図」(p34 図1-2)を示して、著者が「『夕方に東の空から上がってくるのが満月』などとおぼえるのは苦手」だったれど、「この図をみつけて自分で描いてみたところ、ようやく月が見える時間と方角と形の関係がわかりました」と書いていたけれど、わたしは真逆。学校の教科書でこの図を見て、まったくわからず、理解するのを諦めたからだ。天動説のほうが感覚的にしっくりきてしまうのかもしれない。そんな私でも、いくつかは驚きをもって読んだ。
 そのなかのひとつは、月が(地球から見た)表側と裏側で近くのでき方、成分が違うことだ。アポロが着陸したのは、安全な月の表側の平坦な場所だったので、月の表面のでき方を調べるのにふさわしくなかったという。そして、月の裏側に世界ではじめて着陸するのはどうやら中国らしい。でも、いま日本で計画中のSLIMも、裏側にピンポイントで軟着陸に挑戦の予定とのこと。なんとも楽しみではないか。
 作者は、早くて20年後、遅くても50年後には月基地ができて、そこでエネルギーや野菜つくれるようになるといっている。本当なのだろうか? 自分の知らない世界で、調査や技術がどんどん進んでいる。あとがきが書かれた2016年9月現在から、進行形で進歩しているはずだ。だから、宇宙に興味のある子は今、ぜひ読んでほしい。

*第63回青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書

課題図書を読む『チキン!』

 今年の課題図書、読みはじめました!! まずは、市立図書館の新刊コーナーに飾ってあったこの本から。図書館では、この時期、夏休みに備えて、課題図書をそろえているのですね。
 作者いとうみくさんの作品は昨年度も『二日月 (ホップステップキッズ!)』で課題図書に選ばれています。実はまだ読んでいなくて……近いうちに読みたいな。

チキン! (文研じゅべにーる)
 いとうみく作
 こがしわかおり絵
 文研出版

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 小学6年生の日色拓は、小さなときから気弱で、苦い経験を重ねるうち、争い事を避けるようになった。その拓のクラスに、とんでもない転校生がやってきた。真中凛。ほんの少しでも曲がったことをした人を見逃さない。真正面から注意して、反省を促す。それまでクラスの女子たちは、リーダー格の仙道さんを敵に回さないように気を使ってきたが、凛はその仙道さんをもぴしゃりと注意する。凛のせいでクラスにもめごとが起き、女子の中で凛は孤立していく。
 拓はできることなら関わりたくなかったが、席が凛の前で、仙道さんの隣。その上、家が拓の住むマンションの隣。その家は、家族のように親しくしている麻子さんというおばあさんがひとり暮らしをしていたのだが、なにかの事情で凛が、しばらくいっしょに暮らすことになったらしい。麻子さんに孫をよろしくと頼まれるし……拓はいくら自分は関係ないと思っても、凛の言動を見ないでいることはできない――。

 みんな無邪気に仲良しとはいかないのが、高学年のクラス。そんなクラスの様子が、数人の登場人物でリアルに描き出されている。クラスには、目に見えない力関係が存在する。といっても、男子と女子は違う。腕力がものをいう単純な男子と、仲良しグループがあって、そのなかでも悪口や陰口があり、ちょっとした関係で力関係がひっくりかえる複雑な女子。子どもたちはそれぞれ自分の位置を見極めて、その子なりに巧く立ち回ろうと努力する。つまり空気を読んで、振る舞う。
 そうして力関係が定まり、表面的に均整とれていたクラスに、爆弾を落として、揺るがしたのが真中凛だ。
 なにしろ、凛の正義感の強さ、とがった率直さは強烈だ。転校初日、音楽室でバッハの肖像画を見て、髪の毛がマジキモーイといった子を、「相手(肖像画)がいいかえせないのに悪口いうのは許せない、謝れ」と咎める。読んでいて、さすがに、ついていけない気がした。凛は空気を読めないわけでない、読んでいても無視。なにより自分の正義感を優先して、名前通り、不正をみつけたせ真ん中に突撃していく。
 拓は、クラスから一歩離れて、トラブルにまきこまれないよう外から見ている。心やさしくて、自身も他人も傷つくが耐えられない。空気を読めば、悩んで傷つきそうだから読まない。なにより平和であることを優先する。
 自分のカプセルの中でゆったりと暮らしていた拓が、凛のせいで、さまざまなトラブルに見舞われる。凛の融通のきかない正義感を、まちがってないけれど正直うざいと思い、女子の権力闘争に巻き込まれ、女子の怖さを思い知り、毎日散々だと嘆く。このあたりの拓の不満と狼狽ぶりは、とても共感できる。だか、ユーモラスに描かれていて、拓には悪いけれど笑ってしまった。
 読み進めるうち、凛の行き過ぎた正義感や鋭どすぎる言動にわけがあること、その言動が人を傷つけるだけでなく彼女自身も傷ついていることがわかってくる。凛は、正しければ、何をどう言ってもいいわけではないことに気づいてもいく。
 凛も、拓も、クラスの子たちも、それぞれが、自分と違う価値観に感化され、変わっていくのだ。

 さて、読み手の子どもたちはかならず、登場人物の誰かに、自分や友だちをみいだせるだろう。私も元女子だから分かる。女子なら、リーダーの仙道さん、金魚のふんの久田さん、おとなしい藤谷になった覚えがあるはずだ。凛になった覚えがある子もいるたろう。男子は、ボスの嵐君と情報通なのを自慢な本馬君と拓と、シンプルに書きわけられているが、嵐君も本間君も憎めない。とくに後半は、ふたりともいい奴感があふれてくる。これは、主人公の拓がクラスの部外者から少しずつ中に入っていった証拠なのかもしれない。
 学校は小さな社会。クラスの人間関係は煩わしいけれど、その中でもまれるのはとてもいい社会勉強だ。この作品では、拓と凛だけでなく、すべての登場人物が、明るい方向へむかって終わっていて、読後感がとてもいい。

*第63回青少年読書感想文全国コンクール 小学校中学年の部 課題図書

課題図書を読む『さかさ町』

 ルイス・スロボドキンが挿し絵をつけている本。彼は、1975年にすでに亡くなっているけれど、その作品は、今もなお、読み継がれるばかりか、新たに邦訳され続けている。ユーモラスな動きのある線が私は好き。そのルイス・スロボドキンの作品が課題図書というのは、とても嬉しい。

さかさ町
 F.エマーソン・アンドリュース文
 ルイス・スロボドキン絵
 小宮 由訳
 岩波書店

     

 リッキーとアンの兄妹は、おじいちゃんの家に行くのに汽車に乗っていた。でも、行く先途中の線路の橋が壊れたために、橋が直るまで、「さかさ町」で待つことになった。
「さかさ町」は名前の通り、さかさまのルールがある、奇妙な町だった。看板は上下さかさまになっているし、自動車は後ろ向きに走り、家は、屋根と天井がさかさまになって建っている。
 リッキーとアンが泊まったホテルも、外から見ると2階建てだけれど、客室は地下にある。ベッドは、頭の方側の掛布団がマットレスのしたに入れこんであって、足の方側から入るようになっている。ホテルで働いているのは子どもで、年をとったら遊んでいていい。
 再び汽車が動き出すまでのあいだ、リッキーとアンは、レストラン、病院、野球、小学校、ショッピングセンターを巡り、さかさまの世界を満喫する。

 なんとも楽しいお話だ。さかさまだと、不便だったり不都合があったりするのじゃないかと思うのだが、むしろその逆。たとえば、上下さかさまの家では、屋根が平らだから、屋根にヘリコプターがとまれるし、地下にある客室は、高層階の部屋より涼しくて、安全で静かなのだ。
 さかさまのルールでは、価値観がひっくり返る。すると、前より素敵なルールになったりするから、不思議で面白い。病院や、アンストアーと呼ばれるショッピングセンターでの、私たちの世界とは、まるきりさかさまの支払いシステムは、なるほど、理にかなっている。このルールなら、健康保険も失業保険もいらなくて、弱者にやさしい、平等な社会ができそうだと、膝を打って感心した。

 このお話は、一見、ユーモアたっぷりの、でたらめなうそっこ話のようだが、実はとても奥行きが深い。ものごとをまったく逆から見ると、まったく違うものが見えてきて、常識がひっくりかえったり、新しい発想が生まれたりする。その意外性や発想の広がりがとても楽しくて心地よい。この本は、常識の域内だけにとどまっている私たちに、一歩外へでて、多角的な見方と柔らかな考え方をするようにと促してくれるのだ。

 ただ、翻訳本のため、日本の子どもたちには、レストランの料理や指ぬきなど、生活でのなじみがあまりなくて、ぴんとこない部分があるかもしれない。でも、それは、ほんの一部。中学年以上の子なら、十分にこの発想の転換を楽しめると思う。さらに、読後に、さかさまに考えるゲームなどしたら、もっと楽しいだろう。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 小学校中学年の部 課題図書

課題図書を読む『大村智ものがたり』

 昨年、2015年の日本人ノーベル賞受賞者はお二人だった。そのうちのおひとり、生理学・医学賞を受賞された大村智さんの伝記。10月5日に受賞が発表されて、この作品が出版されたのが12月15日で、作者あとがきの日付は11月9日になっている。受賞が決まってからの執筆なら、なんというスピード! 作者は、新聞社出身の科学ジャーナリスト。以前から大村先生を取材され、2012年には、すでに『大村智 - 2億人を病魔から守った化学者 』(中央公論新社)を出版されている。

大村智ものがたり~苦しい道こそ楽しい人生
 馬場錬成著
 毎日新聞出版

     

 大村先生の経歴は、すでにあちこちで報道されたが、この著書に書かれたものをまとめると次のようになる。
 山梨県の農家の長男として生まれ、10歳のときに終戦をむかえる。地元の高校を卒業して山梨大学に入学。東京で夜間高校の教師をしながら、勉強して2年後に東京理科大学大学院に入学。教師も続けながら大学院で学んで博士論文を書く。3年後に結婚して、山梨大学に戻って助手として働くが、2年後、29才でで再び上京して北里研究所の研究員となる。そこで書いた論文で、東京大学で薬学博士号、東京理科大学では理学博士号を取得し、36才でアメリカのウエスレーヤン大学に留学。2年で帰国し、留学時代に取り決めたメルク社との共同研究を始め、1975年北里大学薬学部教授になる。そして、ゴルフ場の土を培養した微生物が作った化学物質から、動物の寄生虫やダニを殺すエバーメクチンを発見。エバーメクチンを改良して、人間の寄生虫に効くイベルメクチンを開発。この感染症の治療法の業績でノーベル賞の受賞となる。

 高校教師というまわり道はあるものの、とんとん拍子の華々しい研究者人生だ。その陰には、人の何倍もの努力があっただろうし、苦しみもあっただろう。本書でも、「徹夜で実験するのは慣れている」(p96)、「朝6時に研究室に出勤する」(p106)、「精神科へ行くと、医師から研究に熱中し過ぎているので何か他の楽しみをもちなさいと言われました。」(P115)と、書かれている。
 だが、本全体から受ける大村先生の印象は、とても精力的で、努力を苦とせずに、前へ前へと進んでいくのを楽しんでいる。
 小学校から大学までは、勉強よりもスポーツに夢中だった。高校では卓球部とスキー部。卓球では部長を務め、スキーでは、県大会・県インターハイで優勝している。スキーは大学に進んでも続け、体力をつけるために、大学までの15キロを走って通った。
 好きなことには熱中して打ち込み、結果を残せる。優れた資質を持っている。

 また、大村先生はすばらしい両親のもとで育ち、人との出会いにも恵まれた。戦時、敵国の英語を子どもたちに内緒で習わせたお父さん。「教師たる資格は、自分自身が進歩していること」(p40)と日記に書いていた元教員のお母さん。スキー指導員の横山先生は「人のまねではその人のレベルどまり」と教え、大学院の都築先生は、論文を英語で書くようにと指導した。こうした、先見の目をもち、自分を磨く人たちの言葉や行動を、大村先生は吸収してエネルギッシュに行動に移した。目上の人だけでない、夜間高校で教えた生徒たちからも、「勉強の重要性とそれに向かう意欲」(P99)を学んだ。そうした大村先生のひたむきな姿を見た人が、また大村先生に目をかけて引き上げる。
 引き上げられるのを待つだけではない。大村先生は、自分からも積極的にはたらきかけて、チャンスを引き寄せた。アメリカへの留学は、まずアメリカを回って教授たちと交流し、帰国してから自分を売り込む手紙を5つの大学に出して獲得した。
 人からパワーをもらって、そのパワーを発散して人に与え、また人からもらって……と、パワーは、人とのつながりの中で好循環し、人間として、研究者として、大村先生はどんどん伸びた。
 熱中していることには、苦労を惜しまない。どんなに苦しくとも楽しめる。それが大村先生なのだ。
 考えても見てほしい。ノーベル賞につながった化学物質をみつけだすまでに、大村先生率いる研究者たちが、どれだけのたくさんの場所から土を採取し、どれだけの回数、培養したことか――。
 大村先生のような精力的な生き方は、なかなかできないし、能力がないからとあきらめてもしまうだろう。でも、どんなことも楽しんで精いっぱいやろうと心がけることはできる。すると、きっと、世界が違ってくるだろう。
「至誠天に通ず」(p183)。大村先生から頂いた言葉を、心にとめておきたい。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 小学校高学年の部 課題図書

課題図書を読む『タスキメシ』

 お正月の2日と3日に行われる箱根駅伝を、毎年、テレビで観戦している。学校の名をらおって襷をつなげていく団体競技は、ランナーに残酷なほどの使命をあたえる。その使命を果たそうとひたすら孤独に走り続けるランナーが、炬燵にはいってぬくぬくしている私を感動させてくれるのだ。
 箱根駅伝から始まるこの作品では、選手がそこにいたるまでのドラマが描かれる。なぜか、お腹が鳴るほどおいしそうな料理とともに……。

タスキメシ
 額賀 澪作
 小学館

     

 真家春馬は箱根駅伝の花の2区の中継ラインにまっさきに立って、1位で走ってくるランナーを待っている。春馬には、3度目の箱根駅伝だ。1位から遅れること10メートル、2校のランナーが姿を見せ、その2大学のランナーが、中継ラインの春馬に並んだ。高校の先輩、助川と、高校の時のライバル校の藤澤だ。
 襷を受取り、先頭で走り出した春馬は、1歳上の兄、早馬が走る姿を思い浮かべた――。

 そこから、話は突然、兄、早馬の高校3年生の初夏にさかのぼる。早馬は高校2年の冬に右膝を剥離骨折して手術をうけた。いまは、リハビリをし、陸上部で軽いメニューをこなしている。少しずつ身体をならせば、夏のインターハイ予選を目指せるはずなのだが、一向に練習に身をいれず、ぐだぐだしていた。
 そんな早馬に、担任で料理研究部顧問の教師が、調理実習室に食材を持っていく使いを頼んだ。その日から、早馬は料理研究部に入り浸るようになる。料理研究部の部員は、3年女子の井坂都ひとり。都はそっけない態度で、言葉使いも荒いが、料理の腕は抜群だった。早馬は料理を覚えて弟の春馬に食べさせようとした。兄弟の家は父子家庭のため、食事が貧しくがちなのに、弟の春馬は加えて、恐ろしい偏食だった。自分より走る才能のある弟が、あんな食生活では故障しかねないと思うのだ。
 そんな兄を、弟の春馬は、美味しい料理を喜んで食べながらも、不満に思っていた。兄にはリハビリをして、陸上にもどってきて欲しい。だが、長距離走者として致命傷ともいえる膝の手術した兄の思いを、故障したことのない春馬には推し量ることができず、強くは言えなかった。
 陸上部の部長の助川も、複雑な思いで早馬を見ていた。早馬がリハビリをさぼって、都調理実習室に通い、都とふたりきりで料理することも気になった。けれども、本人の意志に任せるしかないと考えていた。
 都は、家庭の事情を抱えていて、ひとりで料理するのが好きだった。だが、早馬の苦しみを感じ取り、料理がなにかの救いになるのならいいと考えた。それに、だれかと料理するのもいいと感じはじめていた。

 こうして高校時代を、早馬、春馬、都、助川が交替で語り、そのあいまに、箱根駅伝での春馬の走りを、春馬自身が語る。さらに、都と助川の小学生時代の思い出話もはさまり、時系列はかなり前後する。そのなかで、早馬がどう決心するか、その決心に、春馬、都、助川がどう関わったか、逆に早馬が三人にどんな影響を与えたかが次第にはっきりと見えてくる。大学4年の早馬が箱根駅伝の日にどうしているかは、読者をじらすように伏せられ、おしまいの方で明かされる。そして箱根駅伝2区の勝負は……。実にうまい構成で、読み進むほど、面白い。
 本人ですらわからない、複雑な登場人物の心境も、よく伝わってくる。弱身をもったもののひがみ、不安、追われるものの苦しみや焦り、逃げの気持ち、それを隠そうとするごまかしなど、情けないけれど、だれもが持っているに違いない負の感情が丁寧に描き出されている。
 辛い家庭環境で育って負の感情を味わい尽くした都は、早馬、春馬、助川にさばさばとした思いやりで接する。そのことが、彼らに自分や相手の本当の思いを気づかせる助けになっていく。
 素質、運、環境……人は決して平等ではない。だから、自分の置かれた場所で、もがきながら、恰好悪くても、前を向いて生きる。それしかない。

 ところで、この作品のさらなる魅力は、都と早馬のつくるおいしそうな家庭料理だ。細かなレシピはなく、ざっくりと描写してあって、物語に溶けこんでいる。その都らしいざっくり感がいい。しかし、手際よく、心憎い心づかいがあり(そしてこの心づかいが味を左右するのだ)、主婦としては、その技を盗みたくなる。特に取り入れたいのは、水だしティーポットでつくる、鰹節と昆布のだし汁。そのだし汁を使う和風ピクルスも作りたい。今の季節なら鯵のなめろうが美味しいだろうか。
 作者は料理上手? 小学館文庫小説賞受賞、松本清張賞をW受賞したという、まだ20代の若い才能。ほかの作品もぜひ読んでいきたい。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 高校の部 課題図書

課題図書を読む『ABC! 曙第二中学校放送部』

 タイトルを見て、昨年夏に放映されていたドラマ『表参道高校合唱部!』が頭に浮かんだ。芳根京子ちゃん(秋からの朝ドラのヒロイン役とのこと、楽しみにしている)のまっすぐな演技がすがすがしかった。ああ、若いっていいなあ、仲間っていいなあ!と、私には遠い日々の、きゅんきゅんした気持ちを思い出したりもした。
 さて、この作品は……。
 
ABC! 曙第二中学校放送部
 市川朔久子作
 講談社

     

 4月、みさとは中学3年生、放送部の新副部長になった。というものの、いま部員は部長の古場とみさとの2人きりで、放送部は廃部寸前だ。古場は機材担当で、みさとは苦手なアナウンスを一手に引き受けなければならなかった。もともと、みさとはバスケット部で、2年生のとき事情があって放送部に移ったのだ。
 顧問の須貝先生の提案で、部員を増やすために、週1回のお昼の放送を開始する。そのかいあってか、1年生の新入会員珠子が入ってきた。
 同じころ、転校生の葉月が放送室へ訪れるようになった。防音室で叫んで怒りをぶちまけるためだ。葉月はみさとと同じクラスで、息をのむほど美しいのに、凛として近寄りがたい雰囲気があった。前の学校では放送部にいて、放送コンクールの朗読部門で入賞している。だが、なぜか入部を拒んだ。それでも、アナウンスはしない、入部をだれにも秘密にするという形で入ってくれる。
 肩を痛めて野球部を休部していた長身の新納も入部してきた。新納もみさとと同じクラスで、みさとにとって、とても気になる存在だ。嬉しいけれど、新納の入部は、葉月が目当てだろうとみさとは考えている。
 葉月のアドバイスでみさとのアナウンスは上達した。お昼の放送は生徒たちの評判もよい。須貝先生は夏の放送コンクール地区大会に参加すると言い出した。みさとはアナウンス部門にエントリーし、部全体でもラジオ番組作品を出すことになった。
 部員たちは前向きにがんばる。葉月も様々なアドバイスをして助けてくれる。しかし、多難だった。学校がラジオ番組制作を検閲して邪魔してくるし、みさとは練習しても思うようにアナウンスできずに焦るばかりだ。
 みさとは、葉月が自分よりずっとアナウンスがうまいのに、頑なにラジオ番組への出演を拒むのを非協力的だと腹立たしく思った。とうとう、ふたりはぶつかる。
 みさとは葉月は仲直りできるのか。放送コンクールの行方は。葉月がアナウンスや声の出演を拒むのはなぜか。みさとの新納への思いは……。

「チクチク言葉」と「ふわふわ言葉」という言葉を、聞いたことがあるだろうか? 人を傷つける「チクチク言葉」と人を幸せのする「ふわふわ言葉」だ。私は近所の小学生から教えてもらった。たとえば「ブス」とか「死ね」はチクチク言葉になる。
 また、「大きな声で挨拶しましょう」と大人は子どもに教えていう。出会った人と挨拶しあうは気持ちがいい。
 大人たちが教えていることは正しいだろう。でも、本当は言葉はそんなに単純ではない。言葉や挨拶の裏にどんな思いが込められているのか、受け手がどんな状態なのか、いろいろな条件が重なって、意味が違ってくる。何気ない普通の言葉が、気づかないまま人を傷つけること、天にも昇る心持にせさることもある。
 言葉はとてつもなく大きな力を持っているのだ。
 言葉とその力について、学校生活、とりわけ部活動を通して、じっくりと考えさせてくれるのがこの作品だ。学校生活のなかでの小さないやがらせやいじわる、部活仲間・友だち関係のこじれ、先生への不満・反発など、中学生なら心当たりがありそうなことが、ていねいに描かれている。
 登場人物のほとんどは、どこの中学校にもいそうな生徒だが、そのなかでひとりだけ際立つ子がいる。美少女の葉月だ。その美しい姿を見るために他校から男子生徒が校内に忍び込んだため、学校は彼女を問題視し、葉月にマスクをするように注意した。学校のとった態度の是非はさておき、いったいそれはどんな美しさだろう。
 だが、この美少女は、無愛想で、他の女子に鋭い声で「ブス」と言い放ち、防音室で「むかつく、むかつく……」と大声で連呼する。見た目と発する言葉に、ものすごいギャップがある。ギャップはそれだけではない。「チクチク言葉」で人を刺す彼女が、実はいちばん言葉に敏感で、言葉の持つ力の大きさと怖さを知っている。
 逆に「チクチク言葉」を使わずに人を傷つけるのがうまいのが、転校生の葉月から最初に「ブス」呼ばわりされる亜美だろう。主人公のみさとは、亜美の言葉にずいぶん嫌な思いをさせられるが、やり返すことはない。裏のない言葉を使うみさとに葉月は心を許していく。
 教師側では、顧問の須貝先生と生徒指導の古権沢先生が、好対照となっている。須貝先生は新任で若いこともあって、生徒たちに考えが近い。
 一方、古権沢先生学校権力の権化みたいな存在で、みさとたち放送部を敵視し、もっともな理屈で、さまざまな難癖をつけてくる。さすがにここまで融通が利かず愚かな先生を私は見たことがない。だが、現在進行形の中学生は、学校で理不尽な思いをすることがあって、古権沢先生のような敵役にリアリティを感じるかもしれない。
 放送部がある中学校は、私の暮らす地方ではほとんどないように思う。けれども、部活動はちがっても、等身大の中学生がいる物語だ。多くの中学生の共感を得られるだろう。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書

課題図書を読む『ハーレムの闘う本屋』

 タイトルを見て、絶対に面白いと楽しみにしていた。本を目の前にして、私のなかでは規格外の装丁に驚いた(読み物なのに、年鑑や事典みたいにがっしてりして大きい)。読んでみれば、情報量においても、深さにおいても、面白さにおいても、またまた規格外だった。

ハーレムの闘う本屋
 ヴォーンダ・ミショーネルソン文
 R・グレゴリー・クリスティ絵
 原田勝訳
 あすなろ書房

     

 ニューヨーク、ハーレム125丁目通りに実在した「黒人のために、黒人が書いた、アメリカだけでなく世界中の黒人について書かれた本」を売る書店「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」の店主ルイス・ミショーの生涯を著したフィクション作品。「フィクション作品」と、わざわざことわるのは、巻末の作者覚書に、「事実が確認できた場合は、それにもとづいてルイスの生涯を語るように努めましたが、空白部分を調査にもとずく推測で埋めたため、この作品はフィクションになっています。」と、あるからだ。
 作者は、ルイス・ミショーの弟の孫娘。作者覚書に、作品を作った目的や経緯、調査の詳細などを誠実に書きとめている。正確に伝えたいという作者の思いが伝わってくる。必ず読んでほしい。
 この作者覚書によれば、ルイス・ミショーと彼の家族、親交のあったマルコムXなどは実在する登場人物だが、店の客などは、「ルイスの書店に影響をうけた実在の人物から聞きとった話を元に造形」した架空の登場人物で、FBIの調書はそのまま載せたが、新聞や雑誌の記事などは、調査にもとづいているものの架空の記事ということだ。

 作品は、年表・年鑑のような形式をとっている。ある年の出来事について、何人かの独白があり、そのあいだに、新聞や雑誌の記事、FBIの調書、写真が挟まっている。
 はじまりは、1904年、ルイスが9歳(ルイスの生年も実ははっきりしないが、さまざまな調査から検討して1985年としたらしい)の年から。ルイス少年は、自転車を乗り逃げするのだが、彼の独白では、母親の「はじめの1歩をふみだせば、神様は助けてくださる」という祈りにしたがって、「最初の1歩」を踏み出して、自転車にまたがり、「ありがとう、イエス様」といいながらペダルをこいだ、となる。
 それに続く父親の独白は、「ルイスは悪い子じゃない。」ではじまり、ルイスが学校をさぼって手に負えないこと、自分が白人に屈辱的な取引をさせられながら生鮮食料品店を自営していること、子どもが9人もいて妻が神経症になっていること、妻がルイスの兄を溺愛することを話す。そして、おしまいの方で、「われわれ黒人は経済的に自立する必要がある」という自分の持論を、ルイスが熱心に聞き入り、ほかの黒人の子たちに「ぼくたちは自分の足で立たなきゃならないんだ」、「だれも助けてくれないんだから、自分でやるしかない」と言ったことを誇らしげに語る。ただし、「あの子はまだ9つだってことを忘れてはならない」と言い添える。
 ここまでが、挿し絵もはさんで3ページだ。たった3ページで、ルイスの悪童ぶり――ただの悪童ではない、芯のとおった悪童ぶり、彼の育った家庭環境、時代、父親の生き方考え方とルイスへの愛情、さらには父親がルイスに大きな影響を及ぼしたことが、ありありと見えてくる。
 このように、時系列にそって並べられた独白や記事は機知に富み、核心をついた文章をさしはさんでいて中身が濃い。そうして、登場人物の人となり、時代の流れを、くっきりと浮かび上がらせていく。

 時の流れを、飛ばし飛ばしだが、ざっと見ていこう。

 悪童だったルイスが、人種問題の書物にふれはじめるのは、おそらく、父親がとっていたマーカス・ガーヴィー発行の新聞『ニグロ・ワールド』だろう。父親は、この新聞が、自分の信じていたことを代弁してくれることや、ルイスと新聞記事や人種問題について何時間も話し合ったと、語っている。『ニグロ・ワールド』の第1面の写真が載っていて、「黒人は白人がアフリカを奪うことを許すのか?」という見出しが紹介されている。
 この見出しと同じようなことを、ルイスも、盗みで捕まった19歳のとき、裁判官に言っている。「あんたたちはアメリカにやってきて、インディアンからアメリカを盗んだ、それに味をしめて、今度はアフリカへ行っておれの祖先たちを盗み、おれたちを奴隷にした。」ルイスは、新聞に影響を受けたのか、父親と話をしていたのか、自分で考えたのかわからないが、19歳のときずに、黒人の歴史を人種の尊厳をもって見ようとしていたのだろう。

 一方、母親が溺愛していた兄のライトフットは、悪童のルイスと違って、信仰心と道徳心が厚く、牧師となる。ルイスとは考え方が違うが、父親の影響を受けていることは間違いなく、教会のリーダーとして人種問題に取り組み、やがて、その運動を全国的に広げる。兄は兄で立派な人だったと思う。

 ルイスは、一度家を出て賭博業で身を立てるが、30歳のとき、警官とのトラブルで発砲され、片目を失い、兄ライトフットのもとに帰ってくる(父親はもう没していた)。その後、教会の仕事を手伝いつつ、聖書を精読する。しかし他の書物にも触れていたのだろう。41歳のルイスの独白には、フレデリック・ダグラス(奴隷ながら、読み書きを学んで「公民権運動の父」と呼ばれるようになった)の名が出てくる。そして、知識が仲間の黒人たちの頭や心の中、本の中にあり、黒人は自分たちの人種の尊厳を知るために、そうした本の存在を知らなければならない、さらに「聖書を理解するには、他の思想との関係でとらえなければならない」「ものを考える時は客観的であるべきだ」と語る。
 こうした知識への強い思いが、聖書を重んじる兄の教会を離れる原因のひとつになり、さらにルイスがそののち、「黒人のために、黒人が書いた、アメリカだけでなく世界中の黒人について書かれた本」を売る書店を始める原点となったのだろう。

 ハーレムの書店は、はじめ、たった5冊を売り歩くことからはじまる。だか、店の前でするルイスの演説の巧さや、戦地へ送る通信販売が成功したこともあって、次第に軌道にのってくる。当時のことを、架空人物たちが独白して、実在する無名の人たちを代弁している。「頭に知識を入れることより大事な仕事はない」と言われて、ラングストン・ヒューストンの詩を読み始めた十代の若者や、店の融資の相談を受け、ことわった銀行家や受け入れた銀行家。こうした人たちの証言によると、貧しくて本を買えない人に、ルイスは無料で本を渡したり、奥の部屋で図書室のように好きなだけ読ませたりしたようだ。彼がどれほど熱心に、無私になって知識の大切さを黒人たちに啓蒙しようとしたかわかる。
 店が評判になり、その知識の広さ深さからルイスが「教授」と呼ばれるようになってからは、新聞記事や雑誌記事、著名人の独白も加わってくる。看板だらけの店頭の実際の写真も載っている。さらに1958年63歳のときからは、ブラック・ナショナリストの活動拠点としてと警戒するFBIの本物の調査報告が始まる。このころから、ルイスの書店は、知識を求める活動家たちの拠点となってきたのだろう。

 そして、マルコムXが現れるが、彼の独白はなく、マルコムの挙動は、ルイスの独白や記事で表されていく。おそらく作者は、マルコムXをルイスの目を通して外側から、客観的に描きたかったのだろう。1964年69歳のルイスの独白には、マルコムXがメッカ巡礼のあと店に寄ったときのことが書かれている。マルコムは、今まで教えられてきたイスラム教(ネイション・オブ・イスラム)は、「黒人専用のキリスト教のようなもので解離主義的」であり、本物ではなかった、だからいまは「古い書物を新しい目で読み直している」と、ルイスに話した。
 マルコムのこの状況は、聖書を精読して、兄の教会を離れたときのルイスの状況と、とてもよく似ている。物事を一筋に見つめるのは尊い。だが、盲信して、他が見えなくなるのは怖い。つねに多方面から物事を見て、客観性を失わないことが大切だ。それには、たくさんの書物、人の考えにふれること、それに尽きる。

 さて、マルコムXはこうして、新しい目を開き、ネイション・オブ・イスラムから離脱するが、それが1965年の暗殺へとつながっていく。暗殺の時の様子も、ルイスの言葉、記事、写真が伝える。そのあとには、1972年にはキング牧師が暗殺される。
 ルイスは、キング牧師の功績を認めるものの、意見が異なる点も多かったようだ。大学出のキング牧師より、自分と同じように10代のとき、刑務所に入って、独学で勉強して知識をえたマルコムXの方が心が通じたのかもしれない。なにしろルイスは、キング牧師とは別の黒人指導者についてだが、「教育を受けた黒人は飼いならされた黒人だ」といっているし、キング牧師が、黒人の書店ではなく、黒人を雇わない百貨店でサイン会を開いたこと(そして、そこで刺されて怪我をした)に抗議をしている。「私には夢がある」の名演説とノーベル平和賞受賞で知られるキング牧師も、別の側面から見れば、また違って見えてくる。

 やがて、店はやむをえず閉店することになり、ルイスも死を迎える。だが、黒人の尊厳回復、社会進出において、ルイスと彼の書店が与えた影響ははかりしれないだろう。それは歴史的にだけでなく、大勢の無名の黒人個人の人生にも大いに影響を与えているはずだ。
 最終章には、様々な人がルイスを偲んで文章を寄せている。その中で、私がとくに注目したのは、マルコムXの三女の文章だ。ルイスの功績を的確にわかりやすく表している。

 この本を読んで、私は、ルイスの生涯や、黒人の人種問題の歴史を知る以上のものを受取った。特に、幅広く、深く、知識をえて、自分の意見を持つことの意義だ。インターネットの情報があふれている現在、私たちは偏った知識に翻弄されがちになっている。様々な方面から本を読み、真実を見極めて、自分の頭で考え、その考えに自信を持つことがどれだけ大切なことか。また、子どもたちの教育の質や意義についても考えさせられる。今、ルイスの書店のような役割を果たす可能性を持つ図書館や司書の役割についても。また、世界に目を向ければ、貧しさから盗みをして暮らすストリートチルドレンについても、各地で起きている民族や宗教によるいさかいについても……いろいろなところに思いが及ぶ。

 ところで本の原題は"NO CRYSTAL STAIR"。作中でも引用されているラングストーンの詩"Mother to Son " にでてくる言葉だ。ルイスも、最後の独白で「わたしの人生は水晶の階段じゃなかった」と、この詩を引用している。どんな人にも訴えるものがある詩だと思う。けれども日本人にはなじみがない。だから、『ハーレムの闘う本屋』という邦題になったのだろう。注目しないではいられないタイトルで、成功していると思う。

 長々ととりとめなく書いてしてしまったが、まだ10分の1も紹介しきれていないし、読み取れていない部分もあるだろう。だから、ぜひ、あなたも自分で読んで! そして、ルイス・ミショーから影響を大いに受けてほしい。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 高校の部 課題図書

課題図書を読む『木のすきなケイトさん』

どうぶつがすき 』、『あたまにつまった石ころが 』などと同じ、実話のひとすじさんのお話。
 フィクション作品では『ダーウィンと出会った夏 』が、時代的にもジェンダー的にも似ていている。

木のすきなケイトさん―砂漠を緑の町にかえたある女のひとのおはなし

  H.ジョゼフ・ホプキンズ文
 ジル・マケルマリー絵
 池本佐恵子訳
 BL出版

     

 樹木を愛して園芸家になり、砂漠だったサンディエゴを樹木豊かな町に変えたケイトの伝記。
 ケイト・セジョンズは1857年カルフォルニア州サンフランシスコ生まれ。森で遊ぶのが大好きだった女の子は、やがて、カルフォルニア大学で科学を学び、女性の科学者として初めて大学を卒業する。その後、教師として南カルフォルニアのサンディエゴへ。ところが、そこは砂漠地帯で、木がなかった。
 サンディエゴにも木がほしい。ケイトは2年で教師を辞め、園芸家となって、世界中から種を集めて、砂漠で苗を育て始める。やがて、町中、公園で、学校で、家で、ケイトが育てた木が植えられていく。

 絵は、樹木を愛したケイトの伝記にふさわしく、木の葉の緑、木や地面の茶色のアースカラーを使って、美しい構図で描かれている。森林浴するような爽やかな空気が、絵本から流れ出てきそうだ。
 少女時代のケイトが森の中で寝そべるのを、真上から見下ろした見開きページ(表紙絵にも使われている)はとりわけ素晴らしい。

  木は、ケイトのともだちでした。
  木が大空にむかってぐんぐんのびたり。
  お日さまの光をあびようとして、いっぱいに枝をひろげるすがたが
  だいすきなのです。(絵本より引用)

 絵がやわらかな文章と調和している。こんなふうに寝ころんだら、どんなに気持ちいいだろう。

 他のページでも、淡々と事実を語る文章を、絵が豊かに演出する。

 学校では、教室にたくさんの男子がいて、ひとりきりの女子ケイトは、一番前の席にいる。他の男子がよそ見したり居眠りしたりしているなか、ケイトは熱心に授業に参加している。大学卒業のときは男子学生たちがみなケイトに視線を向けているのに、ケイトは凛と真正面を見ている。そうした姿が颯爽としてすがすがしい。

 教師になってサンディエゴに着いた場面では、砂漠の町を眺めるケイトの後ろ姿かある。背筋をピンとはりつめた背中が、樹木のない場所に来た寂しさや落胆を語る。別場面の教室では、窓から、緑がなくてゴミ山のある公園をぼんやりと眺める目が、なんとも悲しそう。でも、園芸家になったとたん、その目はいきいきと輝きはじめる。

 ケイトが集めた、砂漠でも育つ樹木は、その名前と木の特徴をつかんだイラストがカタログ様に並べられている。ユーカリ、ヤシ……そのうちの何種類かが、次のページにいくと、町の中にちゃんと育っていている。なんと、わくわくしてくるではないか。
 さらに、その先のページでは、ケイトの努力により緑が生い茂った庭園が現れる。横長の見開きページを効果的に使って描かれたその庭園には、老若男女、さまざまな人が大勢並んで憩い、まるで楽しげな会話が聞こえてきそうだ。

 晩年、樹木の手入れをしているケイトは、やさしい満ち足りたの表情を浮かべている。

 ケイトが生きた時代は、とくに女性は生き方を制限されただろう。そのなかで、ケイトは自分の好きな道にすすみ、情熱をもって働き、社会に貢献した。もちろん絵本に書かれていない苦労があったに違いない。けれど、それは本当に恵まれた幸せな人生だっただろう。

 さて、私はケイトのことはまったく知らなかったし、サンディエゴが砂漠地帯で150年ほど前には樹木がなかったことも初めて知った。日本でこの翻訳絵本を読む子どもたちの大多数も、おそらく私と同じだと思う。
 この絵本は、そんな子どもたちに、知らない世界への窓を開けてくれる。子どもたちは、その窓から、地理に、歴史に、自然科学にと、様々な方面に興味を広げていくだろう。
 そのとき、子どもたちはきっと、ケイトと同じように輝いている。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 小学校中学年の部 課題図書

pencil いっしょに読んでみて

    

課題図書を読む『白いイルカの浜辺』

 水族館のイルカショー、見たことあるでしょか? プールでイルカがジャンプする、子どもたちが大好きなあのショーです。わたしは、子どものころから何度も楽しみました。そのイルカが日本では追い込み漁で捕獲されることに、世界動物園水族館協会(WAZA)から倫理違反と改善の勧告を受け、追い込み漁中止が発表されたのは、ちょうど1年前です。それまで、イルカってすごい! かしこい! かわいい! と、ただ無邪気に感心していただけだったので、海外との意識のギャップを感じて、驚きました。
 読みながら、そのニュースが思い出されました。この作品は、イルカの追い込み漁とは直接関係ありませんが、環境保護運動における「イルカ」の役割を感じさせることでは似ています。

白いイルカの浜辺 (児童図書館・文学の部屋)

 ジル・ルイス作
 さくまゆみこ訳
 評論社

     

 舞台は、イギリス、コーンウォールの漁港の町。トロール船を持ち、人を雇って底引き網漁をするタギー・エヴァンズが、町で権力を持っていた。
 中学生のカラは父親とともに、叔母(父親の妹)の家に住まわせてもらっている。父親は、パブのキッチンで働いている。しかし、そのパブも、もうすぐ閉鎖されることになった。叔母の家も貧しく、もうすぐ赤ちゃんが生まれる。いつまでも厄介になれるわけではない。お金に困った父親は、とうとうヨットのモアナ号を売りにだした。
 カラは受け入れられなかった。モアナ号は、いなくなった母親との思い出のヨットだ。カラの母親は海洋生物学者で、港近くの海域を10年間の底引き網禁止区域にしてもらって、サンゴ礁の調査研究をしていた。だが、1年前にクジラとイルカを守る慈善団体の活動でソロモン諸島へでかけたきり、行方不明になってしまった。母親のサンゴ礁調査は途中のまま、底引き網禁止期間も、もうすぐ終わる。
 そんなある日、カラは白いイルカの子どもが岸に乗り上げているのを見つけた。イルカは、漁網が絡まって、けがをしていた。近くでは母親イルカがおろおろと泳いでいる。カラは、なんとしてもイルカの命を救いたかった。そこへ偶然、脳性麻痺の転校生フィリクが、父親とヨットでやってきた。イルカを救うため、港の自然を守るため、カラとフィルクスは奮闘する。

 大きなテーマは、自然環境保護。生きる糧として魚介をとっていた人々が、いつのまにか富をえるために、乱獲し海を荒廃させ、なおも多くの富を求めて乱獲を続ける。その愚行を人々にどう気づかせ、どう止めるか。世界中で起きている問題を、イギリスの港町の底引き網漁に焦点をあてて、わかりやすく描いている。

 トロール船を所有するタギー・エヴァンズとその息子ジェイクが、欲にまみれた悪役を一手に引き受ける。彼らに真っ向から反駁する正義のヒロインが、カラと海洋生物学者の母親だ。悪役と正義の味方、この両者をとりまく町の人たちは、その日をやりくりするのが精いっぱいで、自然環境に目を向ける余裕はない。生計を得るためにはエヴァンズの言うなりになるしかない。町の漁民の貧しさは、カラの叔母一家の暮らしから見えてくる。「お金がいるんだよ」というべヴおばさんの言葉がその切迫ぶりを表す。
 そこへ、エヴァンズとはまったく利害関係がなく、裕福なフィルクスの家族が引っ越してくる。そして、漁網に絡まったイルカが現れて、人々の意識を変えていく。

 イルカ――それも、とても珍しいアルビノの(メラニン不足で皮膚が白い)イルカだから、人々は注目するのだ。魚を無駄に乱獲しても気にならないが、人間と同じ心を持つように思えるイルカ1頭の生死には、人々は心を動かされる。ある意味、自然環境保護の広告塔としてイルカが使われる。カラたちの環境保護の闘いにおいても、この本においても……。
 その点を作者は見逃さない。作中でフィリクスもいう。「だって、『ホヤを救おう』っていう記事と『イルカを救おう』っていう記事があったら、みんなはどっちを読みたいと思う?」
 そうして、読者の関心をつかんだのちに、本当に大切なことを伝える。イルカがのびのびと生きていける海の環境をつくることが、自然環境を守ること、さらに、長い目で見れば、人類を守ることだと。

 さて、このメインテーマの後ろには、もうひとつのテーマが流れている。親子の別離と子どもの独り立ちだ。
 カラは、母親と、行方不明というはっきりしない失い方をしたために、受け入れられないでいる。だから、白いイルカの子と母イルカの関係に、自分と母親を重ねあわせて、なんとか2頭を引き離さないようにと必死で頑張る。2頭のイルカの行く末に、自分の母親が戻ってくることを託しているようで、読んでいて胸が痛む。だがカラは、イルカ救済の活動を通して仲間をつくり、成長していく。こちらでも、イルカ親子のストーリーが、カラの物語に巧く絡めてある。

 このように、この作品では、登場人物やエピソードがうまく設定されているが、私が疑問に思うのは、主人公カラと父親の難読症(ディスレクシア)と、カラを助けるフィリクスの脳性麻痺だ。この設定がなくても、物語は十分になりたつのではないか?。
 もちろん、カラやフィリクスの障害をジェイクが執拗にからかうことで、ジェイクの憎らしさは倍増する。だがそれだけが目的だろうか? カラが聖書をやぶってしまう場面、ジェイクがヨットの操縦では身体の障害を感じずに自由でいられると感じる場面などに、作者の深い意味がこめられているのかもしれない。

 前半、カラの置かれた状況が謎めかされ、小出しに明らかになってくる。それを楽しんで読めるかどうかが、面白さを分ける。じっくり読みたい人向け。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 中学生の部 課題図書

課題図書を読む『ワンダー』

 今年も課題図書を読む季節がやってきた。今年は出足が遅れちゃった(^_^.) 7月に入ると、公立図書館では借りにくくなるから、がんばらないと……さて、どこまでいけるかなあ。

 昨年、話題になってきになってはいたけれど、読むのを避けていた本。なぜなら、「生まれつき顔に障害がある」男の子の物語……読むのがとんでもなくしんどそうだと思ったから。でも、課題図書……読んでみれば、少しも重苦しくない。一気に読んだ。

ワンダー Wonder

 R・J・パラシオ作
 中井はるの訳
 ほるぷ出版

     

 主人公は、先に書いた通り、生まれつき顔に障害がある11歳の男の子、オーガスト。その障害の程度は、おそろしくひどい。口唇口蓋裂もあるけれど、それひとつじゃない。目も、鼻も、耳も、顔のすべてがくずれている。彼の顔を初めて見る人は、一瞬息をのんで顔をそむける。
 オーガストは、生まれた時から何度も手術を受けて、入退院を繰り返した。そのせいもあって、10歳まで、学校へは行かずに家で母親から教育を受けてきた。けれど、新年度から、学校へいくことになる。両親は、オーガストの将来を考えて、悩んだ末に決めたのだ。

 作品では、その後の、5年生の終了式までの1年間の出来事が語られていく。その形式が少し変わっている。作家の目を通してでもなく、主人公の目を通してでもない。何人かの登場人物の目を通して、リレー形式で、独白のように語られていくのだ。まずは主人公のオーガスト。次が姉のオリヴィア。その次が学校で最初からオーガストを受け入れる同学年の女子サマー。それから、オーガストに学校の案内をする役に選ばれたジャック、オリヴィアのボーイフレンドのジャスティンと続き、再びオーガスト。そして姉オリヴィアの幼ななじみミランダのあと、最後にオーガスト。
 それぞれが、前の人が語った出来事を重複して語りつつ、少しずつ話を先へ進めていく。こうして、オーガストという稀有な存在からひろがっていく波紋とそのなりゆきを、読者は様々な立場から見ていくことができる。
 ひとりひとりの独白は、自分の気持ちをありのままに表していて、とてもリアリティがある。自分がその立場にいたら、きっとそう感じたに違いないと思えて、素直に共感する。つまり、語り手はみな、どこにでもいる普通の子たちなのだ。その普通の子のなかに、「4百万人に一人」の確立で生まれた、奇異な顔をもつオーガストも、いつのまにか、ふくまれている。
 人は、見えるところだけでは測れない。見えないところに本質が隠れている。オーガストの同級生のジャックとサマーはいう。「オーガストはおもしろい」、「なかなかイケてる性格」。見た目をはずしたとき、オーガストは機知にとんだ普通の少年だと、同級生たちも私たち読者も、少しずつ理解していくのだ。
 もちろん彼らの1年間には、オーガストの顔のせいで、心がゆれ動くことがたくさん起きる。けれど、本質のところでは、あるひとりの5年生とそのまわりの人たちに起きることちっとも変わらないともいえる。ドキドキする新学期、勉強、発表会、楽しい行事、友情、親子のかかわり、恋、誤解、すれ違い、裏切り、はずし、いじめ、派閥、ケンカ、仲直り、仲間意識……。オーガストに触ったら「ペスト菌」がうつるという残酷な遊びですら、私は実際に、障害のない子たちだけの学校にあったのを知っている。この作品は、表面的には奇異な、特別なことを表しながら、実は、普遍的なことを描いていたのだ。
 読者は、作中に自分と似た思いや、心惹かれる人を必ずみつけるだろう。私は特に、姉のオリヴィアと同級生ジャックが心に留まった。誰よりも守ってあげたい弟を持つ姉の複雑な思い。とりたてて秀でたところはないけれど、気やさしくてまっすくで、だからこそ友として苦しみ、産みだした勇気。
 語り手ではないが、いじわるな同級生のジュリアンも、私は心に残った。ああした親がいて、その家庭環境で育てられたら、彼がああいう態度をとるのもうなずける。
 そして、その正反対に、オーガストが顔以外は普通の、素直な、おもしろい少年に育ったのは、だれもがくつろげるあたたかい家庭環境にあった。このことを最後につけくわえておきたい。

*第62回青少年読書感想文全国コンクール 小学校高学年の部 課題図書

  小学校高学年より中高生向きでもいいと思うけど……(o^-^o)

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