児童読みもの

2019年7月 9日 (火)

課題図書を読む『ある晴れた夏の朝』

 日本人でありながら、かなり年いった大人でありながら、自分が何も知らないとわかり、恥ずかしくなった本。

ある晴れた夏の朝
 小手鞠るい作
 偕成社

     

 物語は、今(2014年)、中学校の英語教師をしている主人公メイが、15歳でアメリカの高校生だったとき参加した、ミュニティ・センター主催の公開討論会について、生徒たちに伝えるという、入れ子になっている。

 メイは日本人の母とアイルランド系アメリカ人の父のあいだに生まれたハーフ。日本で生まれ、4歳で家族とともに渡米し、その後はアメリカで育った。
 彼女が高1から高2になる夏休み、原爆の是非を問う公開討論会に出場して欲しいと、上級生から誘いを受ける。討論会の出場者は8名で、肯定派と否定派、4人ずつに分かれて論議をかわす。4回の討論会で、公聴にきた一般市民が投票し、勝ち負けを決める。。
 原爆否定派には、メイのほかに、反戦・平和運動家として知られるジャスミン、飛び級した天才スコット、アフリカ系のダリウス。一方肯定派は、勉強・スポーツともに優秀なノーマン、ユダヤ系のナオミ、中国系のエミリー、そしてメイと同じ日系だが、両親ともにアメリカ生まれの日系であるケン。
 彼らは夏休みがはじまると、睡眠時間をも削って、徹底的なリサーチと分析をし、戦略をたてて、討論会に臨む。両派から交互に一人ずつ、制限時間内にスピーチをすることで討論が繰り広げられた。

 作品では、スピーチの内容と出場者の姿、会場の様子が、メイの視線で、メイの思いとともに語られていく。

 語られる内容は、原爆投下り理由や結果にとどまらない。真珠湾攻撃やポツダム宣言、日系アメリカ人の強制収容所といった第二次世界大戦時はもとより、南京虐殺、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク攻撃、ビキニ環礁での核実験、さらにはアメリカでの黒人やユダヤ人差別と、四方八方に、掘り下げながら広がっていく。
 冒頭にも書いたとおり、無知な私は、彼らにより明かされた事実とその分析が驚きの連続で、彼らのスピーチの内容を早く知りたくて、ページを捲り続けた。その白熱した討論会を公聴したような高揚感を感じながら。

 討論会をこんなにも面白く、熟考させるものになったのは、8人の高校生が、それぞれ違うルーツを持っているからだ。まさに、他民族国家、アメリカだからこその討論会ともいえよう。
 8人の違いは、討論に多角的な視点を与え、分析や思考をもたらす無意識下の感性や感情までもあぶりだしている。民族の違いだけではない。同じ日本人の血が流れていながら、日本で生まれ育って渡米してきたメイと、両親ともアメリカ生まれのケンとでは、全く違う。受けた教育(学校だけでなく家族や周囲の人からも)、育った環境によって、出来事の受け止め方が違うのだ。ひとりがスルーしていることを、別なひとりは重大なこととして感じる。憎しみや偏見が、当然のこととして、植えつけられていることもあるのだ。

 この討論会を通して、8人は勝敗を超えて、とある共通した認識へと向かっていく。それは、作者の願いだろう。そして、私もこの作品を全世界の人々にいま読んで欲しいと思う。


*第65回青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書。

2019年6月29日 (土)

課題図書を読む『サイド・トラック 走るのニガテなぼくのランニング日記』

「セルフ・コンパッション」「成長マインド・セット」を物語にしてくれたような作品。お薦めです。


 『サイド・トラック: 走るのニガテなぼくのランニング日記
 ダイアナ・ハーモン・アシャー作
 武富博子訳
 評論社


    


 ジョセフはADD(注意欠陥障害)とLD(学習障害)があり、運動も苦手だ。7年生の時、通級クラスの担任T先生に誘われて、新生の陸上部に入部する。メンバーは、転校生女子ヘザーのほかはへなちょこばかり。メンバーはクロスカントリーからはじめた。T先生は、自己ベストを目指し、仲間で支え合うようにと指導する。


 ジョゼフは、大勢の中にいるとどう動いていいかわからなくなる。だから、おどおどしてしまう。それで、人と同じことができない子と、周りの子から見下され、それが当たり前となっていた。
 ひとりで走るクロスカントリーは、他人とは関係なく自己ベストをめざせる。T先生の指摘通り、ジョセフに合ったスポーツだった。それでも、感受性とこだわりが強すぎるジョセフがコース走りとおすには、体力だけでなく、克服しなければならないことがたくさんあった。T先生は、毅然とした態度で励まし、ジョセフの努力を認める。
 たとえば、コースを2周まわる課題を、ほかのメンバーはこなしたが、ジョセフは1周が精一杯だった時、先生は、
「ジョセフは今日、自分にできることをしました」(p97)という。
 結果ではなく頑張ったことを認めてもらえることが、ジョセフにどれほど力を与えることか。


 T先生だけではない。チームのメンバーも、ジョセフに力を与える。メンバーは、男子なみの運動能力のあるヘザーを除いて(そのヘザーも寂しさを抱えているのだが)、全員がなんらかの劣等感を抱えている。でも、彼らはジョセフを仲間として受け入れる。メンバーのビクトリアが、うっかりすべらせた言葉でジョセフを傷つけることになり謝ったとき、ジョセフは思う。
「からかわれたことなら一万回くらいあるけど、あやまってもらったのはこれがはじめて」(p191)
 このチームの中では、ジョセフはジョセフのまま、ほかのメンバーと対等でいられる。こうした積み重ねがジョセフを励まし、さらにはジョセフが人を励ませるようにまで成長していく。さらにジョセフの頑張りはほかのメンバーをも成長させていく。
 決勝戦での彼らの奮闘と団結、思いやりに涙が止まらなかった。


 ところで、この作品で最も魅力的な登場人物は、シニアレジデンス(高齢者住宅)から脱走したおじいちゃんだ。おじいちゃんは、その施設がルールに縛られて自由がないことを嫌ったのだが、それだけではない。そこの老人たちのなかにも優劣意識があり、介護の必要のない人たちは、エリートグループをつくっている。それに嫌悪感を持った。驚くことに、老人の施設は、子どもの学校とよく似ているのだ。


 そんなおじいちゃんは、個人を、ただのひとりの人として見る。ジョセフの敏感すぎる聴覚や視覚も、障害とは思わない。逆に誰よりもよく見え、誰よりもよく聞こえると理解する。ジョセフは大多数の人と違う個性を持つだけで、完全無欠のひとりの人間だ。他の人がみなそうであるように。


 最近は発達障害や自閉症を描いたYA小説や児童図書が数多く出版されている。この作品でも、主人公は発達障害を抱えているが、焦点は障害ではなく、努力と成長にある。人と比べるのではなく、今の自分を少しでも超えること。そんな自分を認めてあげること。それは、すべての子ども人にとって、いやすべての人にとって、とても大切だ。だから、この本をすべての人に薦めたい。


 
*第65回青少年読書感想文全国コンクール 小学校中学年の部 課題図書。


 


 

2019年6月23日 (日)

課題図書を読む『そうだったのか! しゅんかん図鑑』

 心にとめておきたい一瞬を人は写真に撮る。けれども、この写真図鑑はそうした写真ではない。人の目が捉えきれなかった一瞬を写真にして見せてくれている。

そうだったのか! しゅんかん図鑑
 伊地知国夫写真
 小学館

     

 望遠鏡は人の視力のおよばない遙か遠くを見せる。顕微鏡は、人の目には見えないミクロの世界を見せる。同じように、ハイスピードのシャッターで撮った写真は、人間の目が決して捉えきれない、数千分の1秒という一瞬を捉えることができる。
 紹介されているのは、われるシャボン玉、シャワーから流れる水、ろうそくの吹き消される火など、身近なものばかりだ。ページの折りたたみを使って、クイズ形式で楽しめるようになっている。
 写真は一目瞭然。普段の何気なく見ていたものが、実はこんな動きをしていたと、驚きは大きい。だが、なぜ、そうなるのかの解説も、充実している。たとえば、水の入ったコップを勢いよく押して倒したとき、水は跳ね上がる。それは、「慣性の法則」が働いているからだと。
 写真で子どもたちを驚かせ興味を引いて、好奇心をかきたて、解説で物理科学へ導いている。
 面白いと思ったのは、シャワーやじょうろの水。実は水滴が連なっている。わたしたちは、イラストでシャワーやじょうろの水をかくとき、点々を描いたりする。目ではそう見えていないのに、なんとなく脳がそう理解していたのだろうか。
 逆に脳がだまされているのが、せんこう花火。光の線は、実は存在していないらしい。
 見えるから存在するとは限らないのだ。

 読み手の科学的な知識や理解が足りないうちに、この本を読むと、ただ写真を面白がるだけで終わってしまう恐れがある。解説を理解できる年齢での再読を薦めたい。


*第65回青少年読書感想文全国コンクール 小学校中学年の部 課題図書。

2018年7月 4日 (水)

課題図書を読む『クニマスは生きていた!』

 あっというまに7月。もう、図書館の課題本は子どもたちへ。ということで、今年はこの作品で最後です。

クニマスは生きていた!
 池田まき子作
 汐文社

     

 秋田県にある、日本で最も深い湖、田沢湖。かつては、そのの美しさから「神秘の湖」と呼ばれ、20種類以上の魚が生息していた。だが、1940年の戦時、国を強化する国策により、水力発電と灌漑のためのダム湖となり、玉川の水を引き入れることになった。玉川は、玉川温泉からの強い酸性の水が流れ込むため「毒水」と呼ばれる酸性水だった。田沢湖の魚はほとんど死滅し、「死の湖」となる。世界中で田沢湖にしか生息していなかったクニマスもまた、生態も習性も解明されていないまま、姿を消した。
 だが、2010年、山梨県の西湖で、クニマスがみつかる。

 クニマスと田沢湖の歴史を、最後のクニマス猟師、三浦久兵衛さんの生涯を中心にして表した作品。とにかくたくさんの情報が盛り込まれている。人名、数値を正確に明記し、資料写真もある。ほぼ時系列で進むが、ときどき時間が前後し、江戸時代の記録や湖の辰子姫伝説まで差しはさんまれているので、歴史的、地理的な感覚が劣る私は、ときどき迷子になり、読むのに時間がかかってしまった。予備知識のないものが読めるよう、専門的なことを丁寧に説明してくれているのはありがたいが、その量が多岐にわたり、しかも多いので、読み物としては、焦点がぼやけてしまった感がある。

 テーマは、作者が「はじめに」で書いているように、「人と野生生物との共存」。

 作品の軸である三浦久兵衛さんの生涯は、8歳(1930年)からはじまる。三浦家は、さかのぼると江戸時代、十代以上前からクニマス漁をしてきた、言わば、クニマス漁師の名家だ。そのため、家に古い文献、書簡が保存されていた。さらに、祖父は漁業組合の理事もしており、人工ふ化に関わっていた。それが久兵衛さんの代になって、漁場の「ホリ」を発電所に渡すことになり、廃業せざるを得なくなった。その口惜しさ、クニマス猟師としての誇りが、久兵衛さんを突き動かし、家に残る資料をもとにクニマス探しが始まり、人々にクニマスが知られるようになる。
 
 この久兵衛さんの物語を進めるうえで、当然、二つのことが絡んでくる。ひとつは、クニマスの絶滅と再発見までの経緯。もうひとつは、田沢湖の変遷と今後だ。

 田沢湖で絶滅したはずのクニマスが、遠く離れた西湖にいたのは、実は、人工ふ化卵の分譲という人為的な行為からだった。その分譲は祖父の代1935年に行われており、そこからなんと75年の期間をえて発見されるのは、本当に驚くべき奇跡である。
 だが、ひねくれた見方をすれば、人為的な行為により絶滅させらたクニマスが、人為的な行為で命を繋いだということになる。人工ふ化と分譲は、クニマスに希少価値があるから行われた。人を豊かにするための人為的行為だ。でも、繁殖しにくいクニマスは、西湖の生態系を(おそらく)壊すことなく、喝采して迎えられた。
 一方で、田沢湖のダム建設も、戦争という背景があるもののやはり、人を豊かにするための人為的行為のはずだった。電気が必要だったし、玉川の水をひいても湖の水で薄めれば何の影響もないと役人たちは考えていた。だが、結果として、田沢湖を死の湖にしてしまった。
 ここに、自然に影響を及ぼす人の身勝手さと責任を感じる。人は、より豊かに生きるために自然を都合よく変えてきたし、これからもそうするだろう。でも、そのやり方によって、良い結果も、悪い結果も生まれる。この地球で人がいつまでも豊かに暮らせるかどうか、人の叡智が試されているのだ。

 くずれた生態系が、巡り巡って、人に脅威を与えるようになって、人ははじめて、生態系、生物多様性の大切さに気づいた。「人と野生生物との共存」は、きれいに聞こえるけれど、やはり人が中心だ。あくまでも人の未来永劫の生存のために、どうバランスをとっていくのか、なのだ。作品を読んで、そんなことを考えた。

*第64回青少年読書感想文全国コンクール 小学校高学年の部 課題図書

2018年6月23日 (土)

課題図書を読む『太陽と月の大地』

 表紙、見返しの絵が美しい本。スペインのほんの短い期間を描いた歴史ものだが、「はじめに」と「あとがき」に歴史的背景が解説してあるので、知識がなくても読める。ただ、地理的な感覚がつかめないのと、やたらと長い名前が出てきて、読むのに苦労した。本文が156ページと短いなかに、たくさんの物語が詰め込まれているせいかもしれない。

太陽と月の大地 (世界傑作童話シリーズ)
 コンチャ・ロペス=ナルバエス文
 宇野和美訳
 松本里美絵
 福音館書店

     

 1492年、スペインでは、カトリックの王であるイサベル女王とフェルナンド王が、アラブ人のイスラム王朝が支配していたグラナダを制圧し、スペインを支配した。初めイスラム教徒は、キリスト教徒と共存できたが、1502年より、キリスト教に改宗しなければ国を去るよう勅令が下る。改宗したイスラム教徒は「モリスコ」と呼ばれた(イスラム教徒は「モーロ」)。さらに1526年にはアラビア語、アラビアの生活様式の禁止令がでて、1567年にはモーロの習慣が禁止された。1567年モリスコたちは王をたてて蜂起を決心。1568年12月に始まった反乱は2年以上続いて鎮圧され、1609年にはモリスコの国外追放令が出た。
 
 この作品は、最終章の手紙をのぞいて、1566年春から、おそらくは1571年の9月末まで。グラナダの地にずっと暮らしてきたモリスコの家族と、その地をおさめるキリスト教徒の伯爵家――両家が悲惨な争いに翻弄されていく様を、モリコスの若者エルナンドと伯爵の娘マリアの悲恋を中心に描いている。
 二つの家族は、領主・領民の立場の違いがあるものの友好関係で結ばれていた。特に祖父ディエゴが少年のころは、互いの宗教と風習を尊重し合っていた。老いたディエゴが切なく思い出すのは、伯爵家ゴンサロ少年と過ごした無邪気な時間だ。シエラネバダの山に登ってアフリカの海岸を二人並んで見る場面は美しい。キリスト教とイスラム教の狭間にあるその地に、立場が反対の二人が、唯一無二の友として立つのだ。二人はたがいに、宗教、人種、身分の関係ない、ひとりの人間と人間として向き合っている。
 エルナンドとマリアも、そうしたわけ隔てのない幼馴染だったが、年頃になり、互いに恋心を抱くようになる。伯爵の娘マリアは素直な気持ちをままでいられたが、モリスコとして苦渋を味わうエルナンドは、キリスト教徒たちに支配された恨みや悲しみに打ちひしがれてしまう。

 イスラム教とキリスト教が対立するなか、それぞれの側で、人々の気持ちは一応ではない。異教徒を徹底的に排除したいもの、宗教にかかわりのなく人間として相手を見るもの。伯爵はモリスコがこっそりイスラム教の儀式をするのに寛容だが、伯爵の息子でマリアの兄イニゴは、モリスコを疑い、危険だと感じている。エルナンドの兄ミゲルは、キリスト教徒と傷害事件を起こして逃げ、反乱軍に参加しながらも、罪のないキリスト教徒たちを逃そうとする。エルナンドのように、反乱に参加しないイスラム教徒もいる。
 だが、時の流れは容赦なく、その土地の人々を呑みこんでいく。この戦いでエルナンドの一家にも、伯爵家にも死者がでた。多くの人が無駄に亡くなり、幸せを奪われる。この無慈悲な戦いを見ていると、なぜ、争わなければならなかったのかと思う。ディエゴ少年とゴンサロ少年のように、共存する道もあるはずなのに。支配欲、権力を脅かされる恐れ。そんな人間の愚かさ弱さが、悲しい戦いを生み出す。
 この愚かな戦いは、今も世界中で繰り返されている。人をひとりの人間として見た時、宗教や人種、文化、風習の違いなど、とるに足らない違いで尊重し合えるはずなのになぜ?と思う。

 ところで作中には、サンフアンの夜やラマダーンの儀式が描かれ、グラナダに残る恋の伝説が挿入されている。血なまぐさい戦いの物語のなかに、異国情緒あふれるロマンチックな香りがふっと漂い、読者をひととき楽しませてくれる。

 表題の「太陽と月の大地」は、作中に出てくる魔女が、エルナンドとマリアの将来を予言し、そのなかで「太陽はキリスト教徒の味方」「モーロに寄りそう月」とつぶやいたことからわかるように、キリスト教徒とイスラム教徒を暗示している。グラナダは二つの宗教が交わる大地だ。
 魔女は、太陽の強い日差しが月の光を隠すという。でも、太陽と月はいつも、空に共存しているのだ。
 
*第64回青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書

2018年6月15日 (金)

課題図書を読む『きみ、なにがすき?』

 絵本から本への綱渡しにぴったりとなる作品。作者のはせがわさとみさんは、たくさんの絵本作家を輩出している「あとさき塾」出身なのですね。

きみ、なにがすき?
 はせがわさとみ作
 あかね書房

     

 森の奥に住むあなぐまは、庭の草を抜いて畑をつくろうと思い立つ。

  くさぬくよ ほい
  いらないくさ ほい
  くさをぬいたら
  ぼくのはたけ   (p7)

 と歌いながら、なかよしのこぶたが好きなジャガイモをつくろうと思いつく。さっそく種イモを買いに行くと、途中でこぶたにばったり。こぶたは自分の畑でとれたじゃがいもをあなぐまの家に持ってくるところだった。じゃあ、じゃがいもはつくらなくていい。そこで、あなぐまは、家に帰って草をぬきながら考えた。そうだ、りすのの大好きなりんごの木を植えよう。そこで、りんごの苗を買いに出かけると、今度は、りすに出会う。りすは自分の家の裏庭でとれたりんごをあなぐまに持ってくるところだった。じゃあ、りんごの木はもう植えなくていい。それなら……。あなぐまは、うさぎの好きな人参、はりねずみの好きなきいちごと、畑で育てるものを考えるけれど、ことごとく、自分が作るまでもないと分って、とうとう、怒り出す。

 大好きな友だちを喜ばそうと張り切ったのに空回り。喜ばすつもりが、いつのまにか、腹をたてて八つ当たりして、いじけてしまう。そんなつもりじゃなかったのに……。子どもの心に寄り添った、なんてかわいらしいおはなしだろう。やさしい色使いの絵も、ほのぼのとかわいらしい、このお話にぴったりだ。

 いいことを思いついたあなぐまが家を出て、こぶた、りす、うさぎ、はりねずみと出会う。この繰り返しで話が進んでいく。読む者は、先が容易に予測でき、あなぐまの気持ちが、嬉しさと落胆に、大きくアップダウンするのがおかしくてかわいい。一方で、あなぐまの気持ちには、焦りが少しずつまじりはじめ、出会うタイミングも早くなり加速して、あなぐまが怒りを爆発させるクライマックスに向かう。この変化が面白く、一層楽しく読める。

 友だちが大好きなこぶたが、庭につくったものは……。だれもが納得して、いいなあと思えるラストが素敵だ。

*第64回青少年読書感想文全国コンクール 小学校低学年の部 課題図書

課題図書を読む『最後のオオカミ』

 課題図書に選ばれない年が珍しいんじゃないかと思えるぐらい、よく選ばれているマイケル・モーパーゴ。歴史が絡む作品が多いせいでしょうか? 本作は、ロンドンの国立美術館テート・ブリテン付きの作家である(このことを、私は、この本のあとがきで初めて知りました)彼が、美術館の絵の1点にまつわる物語をと頼まれて書いた作品だそうです。

最後のオオカミ (文研ブックランド)
 マイケル・モーパーゴ作
 はら るい訳
 文研出版

     

 肺炎をこじらせ、家で安静治療をしているマイケル・マクロードは、孫娘から教わりながら、パソコンで自分の家のルーツ調査を始める。
 スコットランド人である父方の家系をさぐるうち、アメリカに住む女性マリアンからメールが届く。マイケルとマリアンは遠縁のいとこで、ふたりの祖先は、1700年代、スコットランド北部インバネス州にいたロビー・マクロードだろうというのだ。さらに彼女は、祖先ロビーの遺言書をみつけてスキャンしたから、送信してくれるという。送られた遺言書には、ロビーの驚くべき一生が物語られていた。

 ロビーは幼くして父母を失い、インバネス州の叔父に引き取られる。だが、ひどい扱いをうけ12歳のとき逃げ出し、物乞いや盗みで飢えをしのいだ。ある日、子どものいない親切な夫婦に引き取られ、実子のようにかわいがってもらう。3年の幸せな時を過ぎたあと、チャールズ王子ひきうるスコットランド軍が、イングランドめざして挙兵した。ロビーと養父は、養母の反対を押し切って入隊。カロデン・ムアでの戦いで養父は銃に撃たれて死亡する。ロビーは家に逃げ帰ったが、養母もイギリス軍に殺されていた。反乱軍兵士としてイギリス兵に追われる身となったロビーは、スコットランド高地へ逃げこんだ。
 逃げまどうなか、ロビーは、「スコットランド最後のオオカミ/この石の近くで射殺される/一七四六年四月二十四日」と印された石をみつける。その近くには、オオカミの子どもがいた。ロビーは、そのオオカミの子をチャーリーと名付け、ともに逃亡生活を続ける。
 ロビーは、チャーリーが大きくなってからは、猟犬に見えるように毛をかって連れて歩いた。そして、エジンバラに出て、仕事をみつける。だがイギリス兵も大勢いたので、目立たないように気をつけた。
 ある夜、港を散歩しているロビーとチャーリーに、アメリカへ渡らないかと、ペリカン号の船長が話しかけてきた。船長はロビーがイギリス兵に追われていること、チャーリーが実はオオカミであることを、はっきりと口にしないが見抜いていた。ロビーは船長に身をゆだねることにする――。

 かなり大きな文字でたった約80ページの遺言の手記に、ロビーの波乱万丈な人生がおさまっている。そのため、物語の展開がものすごく速い。出来事だけを追ってどんどん読み進める。
 イギリス兵を逃れて多くのスコットランド人がアメリカへ逃げた歴史、オオカミの子の成長とロビーとの気持ちの交流、新天地での自由、ルーツ探し……短いページに、ぎっしり詰め込まれているが、そのすべてが、ざっくりしている。読者によって興味を持つ対象は違うだろうが、興味のその先のへと進む入口となる作品となるかもしれない。
 ただ、やはり、ダイジェスト版のような読後感で、もっとみっちり書かれた物語で読みたかったと思ってしまう。日本の小学生たちは、おそらく歴史的背景になじみのないだろうが、この作品をどう読むだろうか?

*第64回青少年読書感想文全国コンクール 小学校中学年の部 課題図書

2018年6月10日 (日)

課題図書を読む『一〇五度』

 私の心にかちっとはまった作品でした。作者は佐藤まどかさん、ほかの作品も絶対読まなくては……。

一〇五度
 佐藤まどか作
 あすなろ書房

     

 大木戸真の家族は、体が不自由で一人暮らしとなった祖父と暮らすために引越し、真は、中三の始業式から中高一貫校に編入した。真の祖父はかつてイス職人をしており、その影響からなのか、真も椅子のデザインに魅せられていた。
 同じ学年に、ひとりだけスラックスをはく女生徒、早川梨々がいた。梨々の祖父は、椅子業界では有名な会社の創業者で、モデラー(デザインされた設計図をもとに形にする職人)だった。梨々も将来はイスのモデラーになりたいと思っていた。
 ふたりは学校図書館の本『イスのデザインミュージアム』や、紳士服店にディスプレイされた骨董品の寝椅子を巡って会話をかわし、意気投合。7月に行われる「全国学生チェアデザインコンぺ」に、真がデザイナー、梨々がモデラーとしてチームを組み、参加することにする。

 コンペの結果が発表されるまでの過程をストーリーラインに、進路の悩み、立ちふさがる親の壁が描かれる。中高生がイスに興味をもつことはあまり一般的ではないが、進路に悩み、親と衝突するのは、多かれ少なかれ誰でもあるから、とても共感して読める。
 真も梨々も、将来の夢を親に反対されている。真は父親の一流企業願望により、梨々は女にはモデラーは無理という理由で。子どもに苦労をさせたくない親心だが、子どもには、うっとおしい枷だ。
 とくに真の父親は極端でひどい。真が一流大学(T大、K大としてあるのは、東京大学と慶応大学だろうか?)へ進学することを望み、デザインやアートといったクリエイティブな仕事に進むのは許さない。デザイン画を描くことさえ許さず、テストの成績をあげることだけに集中させようとする。年齢の低いうちは真も父親に従い、父親のために猛勉強して成績をあげたが、次第に父親の望む将来が、自分の望むものではないとわかってきた。だが、身長185cm、高校でラグビー部主将だった父親は、体格的にも精神的にも巨大な壁だ。真は少しずつ声をだし、父親にくってかかり、自分の思いをぶつけていく。壁をぶち破る日は近いうちに必ず来るだろう。
 しかし、この作品は、ただ夢に向かって突き進めと無責任に後押しするではない。デザイナーとしての成功者、失敗者の話を載せ、厳しい現実――才能と努力だけではどうにもならない業界であることを、真と読者にしっかり見せる。また、イス職人だった祖父の言葉は考えさせられる。職人としての誇りを保ちながら、時代の流れを乗り越えた苦労人の言葉だからこそ、重みがあり、納得させられる。こうして多方面から光を当てたうえで、さあ、自分の進路を決めるのはあなたですよと励ましている。

 タイトルの「一〇五度」は、真と梨々が製作するイス原寸模型の背もたれの角度だ。まっすぐ座るのではなく、少しリラックスする角度で、パソコン用や会議用によいとされる角度らしい。祖父がいうように、「軽く寄りかかるのにいいあんばい」で、それは人と人が互いに寄りかかりすぎずに、頼り頼られる絶妙な角度なのだ。コンペに出す椅子の原寸模型をつくる過程で、真は、背もたれだけでなく、梨々や、関わる人との一〇五度の関係を体得していく。病弱で両親に甘やかされる弟、力への真の気持ちの変化も、一〇五度の体得から生まれた来たのだろう。

 ところで、梨々は制服のスカートではなくスラックスをはいて登場する。私は、この作品も、最近テーマにされやすいLGBTやいじめの問題を含むと思って読み始めたのだが、そのあたり、真と梨々は突き抜けていた。イスに熱中するふたりに、男女の隔たりはみじんもない。同級生の偏見などとるにたらないことで、一瞬にして吹きとばしてしえるのだ。
 真と梨々は、デザイナーとモデラー、ひとりの人間と人間として、立っている。一〇五度のちょうどいい角度で寄りかかりながら。こうしたふたりが互いに刺激しあい、前をむいていく姿はすがすがしく、とても読み心地がよかった。

 作者は、イタリアでプロダクトデザイナーとして活躍しながら、児童書を書くという才能あふれる人だ。デザイン業界に身をおく彼女が、その知識と体験を、一般的な若者が共感できる物語の構成に、巧みに織りこんで書いている。そのため、デザインに関心のなかった読み手も、すんなり知識をえて理解でき、そのまま物語に没頭していける。私は「プロダクトデザイン」や「インダストリアルデザイン」があることをはじめ、さまざまなことを知り、好奇心をかきたてられながら、物語に入り込み、ラストでは感動で胸がいっぱいになった。

 進路に迷う人、そもそもやりたいことがない人、進路を決めた人、子どもを心配する親、
自分の生き方はこれでいいかと悩む人。すべての人に得られるところが多い本だと思う。中学生だけでなく高校生にも読んでもらいたい。

*第64回青少年読書感想文全国コンクール 中学校の部 課題図書

2018年6月 7日 (木)

課題図書を読む『こんぴら狗』

 巻末には参考文献が細かな字でびっしり。あとがきによれば、この作品にとりりかかった時1歳だった作者の飼い犬が、完成時には6歳になったという。5年の月日を費やして、きっちりと調べあげて書いた作者の情熱が感じられる。

こんぴら狗 (くもんの児童文学)
 今井恭子作
 いぬんこ画
 くもん出版

     

 文政3年(1820年)、江戸の線香問屋の12歳の娘、弥生は、生まれてすぐに捨てられた子犬を拾い、ムツキと名付ける。ムツキは瀕死の状態だったが、弥生の手厚い看護で命をとりとめ、元気になり、弥生になついた。
 3年後、弥生の兄が病死し、そのあと弥生も風邪をひいてから病に伏せるようになった。心配した両親は神さまにおすがりするしかないと、ムツキをこんぴら狗の旅に出すことにする。
 こんぴら狗とは、讃岐の金毘羅さんへ飼い主に代わって参拝にいく犬のこと。木札に飼い主の氏名や住所を書き、初穂料や道中の餌代の入った銭袋を首にさげて、旅人から旅人へと託されて、金毘羅参詣へいき、お札をもらって帰ってくるのだ。この作品はフィクションだが、こんぴら狗がいたは本当らしい。
 はじめムツキは、知り合い瀬戸物問屋の隠居の京見物についていき、京都から、商人などの旅人に託される予定だった。出会う人たちは、ムツキがこんぴら狗と知るとたいてい、ありがたがり、手助けした。箱根の関所では相好をくずした役人から「気をつけていけ」と声をかけられる。大井川の渡しではムツキが輦台からおちるとうハプニングもあったが、順調に進んでいった。だが、伊勢湾を渡る船が大雨に会い、ご隠居が風邪をひいてから、ムツキの旅に暗雲がただよいはじめる。

 江戸から東海道をくだり京都へ。さらに大阪から四国へと、犬が旅する。もちろん犬には道はわからないし、海も渡らなければならない。参詣の意味も知らない。そんな遠くへ行くのは、いくらなんでも無理でしょうと私は思った。
 だが、江戸時代、科学が進んでいないからこそ、人々の信仰は今では信じられないくらい厚かった。こんぴら狗に託された飼い主の願いをなんとかかなえてあげたいと、見も知らぬ人々がそれぞれのやり方でムツキに力をかす。その人々の情の厚さ、純朴さに驚かされた。

 作品では、ムツキの旅した道のりをたどりながら、当時の人々の暮らしぶりや社会を紹介しつつ、ムツキが出会った人たちの物語の断片で紡ぎついでいく。口達者な偽薬売り、淡い恋をする芸者見習いと水主見習いの少年など、その時代を生きぬいている庶民の姿が生き生きとうきあがってくる。生真面目な役人たちの姿は滑稽だ。こんぴら狗と知りながら、路頭に迷わせては恥と、宿場から宿場への引き継ぎに奮闘し、ついにはムツキを無理やりお籠に乗せて運ぼうとする。
 だが、なんといっても心を打ったのは、伊勢参りから帰る油問屋の母子だ。生まれつき目が不自由な息子の視力回復を祈願する旅で、母は、ムツキと息子の触れ合いを通して、息子の成長を感じ、息子への自分の接し方を考えていく。

 ムツキがどうか使命を果たせますようにと願いながら、次から次へと出会う風物や出来事、人々で、飽きることなく、一気に面白く読める作品。大人にもお薦めだ。

*第64回青少年読書感想文全国コンクール 小学校高学年の部 課題図書

2018年5月26日 (土)

課題図書を読む『奮闘するたすく』

 昨年の夏に読んで、児童文学で介護をユーモラスに、でも、きちんと描いていることに衝撃をうけた本。超高年齢社会で避けては通れないテーマだ。

奮闘するたすく
 まはら三桃作
 講談社

     

 小五の佑は友人の一平とともに、夏休みの研究課題として、デイサービスを見学してレポートするよう、担任の早田先生から宿題をだされる。認知症の症状がではじめた祖父の「デイサービスについていった」と日記に書いたからだ。
 夏休みがはじまり、佑と一平は、デイサービスに行く祖父に付き添った。祖父は、ものわかりのいい時と悪い時があり、介護士に腹をたてたり、素直に従ったり。佑は振り回されっぱなしだ。佑と一平は、初め見学だけだったが、介護士見習いとして手伝いもするようになる。

 老い、認知症、身体障害、介護福祉、外国人労働者、ボランティア、そして死。佑は、祖父や施設を利用する老人たち、介護士と交流するなかで、様々なことを知っていく。高齢者社会の現代にあって避けらないテーマをわかりやすく書いている。
 重いテーマを扱っているが、全体にユーモアがあふれ、とても明るい。自分の死がほど遠く、現実味がない5年生の目を通して描かれているからかもしれない。
 それでも、佑の気持ちは複雑だ。佑の祖父は元刑事。おそらく、規律正しくしっかりした人だっただろう。佑はそんな祖父を尊敬し、誇りにしていたに違いない。それが、認知症になって、明らかに言動がおかしい。祖父自身も意識がはっきりしている時は、自分をふがいなく思い、苛立ち、将来に不安を感じている。弱っていく祖父と、祖父を見つめる佑の気持ちが切ない。たとえば、施設で履く上履き。小学生が学校で履くのと同じで、でかでかと名前が書いてある。プログラムにくみこまれたレクレーションのお遊戯。まるで幼稚園児のようで、祖父はプライドを傷つけられる。
 一方、祖父の身内でない一平の感じ方は、かなりドライで佑と温度差がある。老人たちの、ちぐはぐなふるまいを、単純に驚き、おもしろがり、施設での体験を楽しんでいる。こうした一平の存在は、祐を落ち込ませず、作品の明るさに寄与している。

 老いにともなう認知機能、身体機能の衰えや障害に、周囲はどう接するか? 嘲笑したり、できないことに腹を立てたり、逆に幼い子を扱うように接したり……どうすればいいか戸惑う。ヒントとなる提案をしてくれるのが、インドネシアから介護福祉士になるために勉強にきているリニだ。彼女は、「インドネシアでは老人は尊敬されていて、みんなが世話をしたがる。生きている分かしこくて物知りだ」という。認知症の老人たちを見れば、その言葉に首をかしげずにいられない。でも、刑事だった祖父は、刑事の素養がしみついていて、施設で老人ひとり行方不明になったとき、スタッフに的確な指示を出す。また、大切な妻との大切な思い出を、しっかりと折りたたんでしまっていた。それを言動としてと外に表したとき、佑たちは、はじめ、理解できなかったが……。
「お年寄りのやることには、ちゃんと理由がある」といったベテラン介護士の言葉が心に響く。 いつもはほとんど言葉を発さないのに、カラオケの「瀬戸の花嫁」ではリズミカルにあいの手を入れる老人も、きっとなにかを深く胸に刻みこんでいるのだろう。体験や思い出はみな違う。当たり前のことだが、老人、いや人間は、ひとりひとり尊重される個人なのだ。

 後半のセミの幼虫の孵化にまつわるエピソードは、生死の神秘がともない、とても美しい。セミは、美しい孵化のあと、成虫となり、はかない命を終えていくのだ。でも、それまで懸命に生きている。

 

*第64回青少年読書感想文全国コンクール 小学校高学年の部 課題図書

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