課題図書を読む『パンケーキをたべるサイなんていない』
こんなサイ、いるでしょうか?
『パンケーキをたべるサイなんていない?
』
アンナ・ケンプ文
サラ・オギルヴィー絵
かどのえいこ訳
BL出版
パパもママも、デイジーの話をちっとも聞いてくれない。家に大きな紫色のサイがいて、パンケーキを食べちゃうっていっているのに。それで、サイはずっと家にいて、デイジーとすっかり仲良しになった。そのうち、パンケーキがなくなるのにママとパパはようやく気づいたけれど、サイには気づいてくれない。「ママとパパは、いつもとおくにいるみたい」
親が子どもの話を聞いてくれない、信じてくれないと、多くの子どもたちが感じている。でもたいていの親たちは、ちゃんと聞いてるつもりではないだろうか。どうして、そんな行き違いができるのだろう。人間は自分に必要なことだけを聞き分ける能力があるらしい。子どもの話すことの内容を、親たちが必要でないと思っていなければ、あるいは、そんなことありえないと思っていれば、「なにをつまらないこといっているのよ」で一蹴してしまう。大人の常識、先入観が邪魔しているのかもしれない。子どもたち、ごめんなさい。親たちに、子どもの話を聞いていない自覚はないのだ。
子どもが見て、考えていることが、親には、見えず、信じられず、理解できない。そうした親子の隔たりを、この作品は、楽しいおはなしで表している。
デイジーの言っていることが正しいとわかるのは、ママとパパにサイが見えたからではなく、ある公的な文章をママとパパが読んだから。同じことでも、自分の信頼している大人のいうことならすんなり受け入れる、大人の愚かさを描いているのが、この絵本の鋭いところ。
こう偉そうに書いている私自身も、紫色のサイは、実はデイジーのさびしい心が生み出したお友達という読み方もできる、というような分析をしながら、絵本を読んだりして、どうしようもなく大人だ。そんなこと書きながら、絵本を読み返し、やはり、紫色のサイのおはなしはデイジーの心になかで起きていたと思ったりもする。
さて、子どもたちはどんなふうに読むのだろう。紫色のサイが登場して、「ありえない~」と面白がり(子どもたちだって、実際に紫色のサイがいるなんて思っていな。でも、絵本の中では実在するとちゃんとわかってる)、デイジーの言い分や寂しさ、不満を共感するだろう。そして、両親が急にものわかりがよくなってハッピーエンドを迎えたことに、心から満足するだろう。こんな両親がほしいと思うかもしれない。
そう、紫色のサイがデイジーの家にいようと、心の中にいようと、子どもの話をきちんときく親を、子どもたちはもっとも望んでいるのだ。
『まさかおさかな
』(フェイ・ロビンソン文 ウエイン・アンダースン絵 岡田淳訳 BL出版)も、同じような親子関係を描いた作品。読み比べてみると面白い。
*第58回青少年読書感想文全国コンクール 小学校低学年の部 課題図書
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