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『子どもに本を買ってあげる前に読む本』うーん、悩むね。

 なぜ、わたしの薦める本を息子はなかなか読まないか? その答えをもとめて赤木かん子さんの『子どもに本を買ってあげる前に読む本―現代子どもの本事情 』(ポプラ社)を読んだ。

        

 答えは、う~ん、よく、わからない!

 わからないことが、すこしショックだった。内容以前に、話し口調の文章の意味がときどきわからない。指示代名詞がなにをさすのか、ひとつの言葉がどの言葉にかかっているわからなかったりする。今はやりのハイテンポで英語混じりの歌が聞き取れないように、行間のたっぷりある文についていけない。あ~、わたしは旧人類だ。意味もわからないし、受けいれられないんだあと思ったりした。

 それはさておき、装丁、字体、言葉について書かれている部分は、かん子さんの説明についていけて、ふむふむその通りと思えた。

 でもどうしてこうも極端な論理を、かん子さんは書いたんだろう。

 ここで、子どもに本を薦めたがる大人であるわたしの言い分を書いておこう。

 好きな本を子どもと分かちあいたいというのは、野球の好きな親が子どもにキャッチボールを教え、音楽好きな親かピアノを習わせるのと同じ、ごくごく普通の感覚だ。子どもが嫌がっているのに千本ノックをしたり、1日に何時間もピアノに向かわせたりするのは、親の暴力で、同じようにどうしても読みたくないという本を無理やり読ませるのもいけないけれど、この本おもしろいよと薦めるのはいいんじゃないかしら。程度の問題だと思うのだ。

 退屈かもしれないけれど、子どもにはクラッシック音楽をプロの生演奏で聞かせたいと思うでしょう。ぜんぜんわからないかもしれないけれど、美術館へいって名画を見せたいと思うでしょう。子どもたちがそれを自分のなかにとりこむかどうかは、わからないけれど、その機会を与えるのは、大人の役割だと思う。
 同じように、かん子さんのいわれるすでに「古典」になった本を子どもたちに読ませるのは、悪いことじゃないでしょう。のめりこむ子だっているかもしれない。

 ところで、わたしが子どもの頃、わたしの周りには、今ほど本がなかったし、あの時代、いまほどというより、ほとんど親にも先生にも読書を薦められなかった。今は、どの学校でも読み聞かせや、朝の読書の時間がわざわざもらえるけれど、私の時代はまったくゼロ。田舎だったからだろう、絵本なんてほとんど見ていない。学校の図書館で借りて読むのがせいぜいで、それだって、今みたいに図書週間には何冊読もうなんて目標はないし、好きな子が好きなだけ借りるというシステムだった。読書感想文用の本(それも、目次だけ読んであらすじを推測する)以外には、ほとんど読んでいない子だっていた。友だちにこれおもしろいよと薦められたことはあるけれど、先生に教えてもらった覚えはない。読書は趣味のひとつだった。

 子どもの活字離れがさけばれ読書が推奨されていること、実はこっちの方に問題があるんじゃないか、とわたしは思う。好きな子が好きなだけ読めばいい趣味の読書ではなくて、どの子も読まなければならない義務の読書になってしまった。だから、大多数の子が楽しめる本が必要になってくるのだ(出版社の方も売れる本でないとね)。
 でも、だからといって、人気のない本を切り捨てていくのは、どうかしらと思う。「古典」にはいったという「おさるのジョージ」だって、読み聞かせすると、子どもたちはとても喜ぶと聞いたことがあるし、ゲド戦記(わたしは大人になって読んだ)を好きな子だってきっといると思う。今の子がゲド戦記を読む権利はあるんじゃない。趣味の問題だもの。

 あれっ?(と、熱くなっていたけれど、ここで気づく) これってもしかして、かん子さんのいいたいことと同じ? 読書は趣味の問題だから、何を読でもその子の勝手ということかな? だったら、なおさら、いろいろな選択肢を子どもたちにのこしたいし、機会を与えたい。押しつけるんじゃなくて……(だから、押しつけずに薦めるのが大人には難しいんだって)。

 さて、『子どもに本を買ってあげる前に読む本―現代子どもの本事情 』のなかで、こわいと思ったことは「ハリー・ポッター」シリーズについて書かれていることだ(P80~)。「ハリー・ポッター」シリーズは、批判もされてもいるけれど、熱中して読んだ大人だってたくさんいる。もし、かん子さんの解析が正しいとすれば、とんでもなく甘ったれた人間の世の中になってきているってことだ。
 もしかして、かん子さんは、子どもたちと大人の変化に警鐘をならしている? いや、そうではなくて、時代の流れだから、良い悪いではないといっている? 

 そこで、わたしは息子にどう接する? いま順に読んでいるサトクリフの作品は、ぜひぜひ息子と分かち合いたい。でも、息子はシャットアウト。はいはい、無理強いはしません。でもね。この本おもしろいよと、伝えておくことはいいんじゃないかな。もし、彼がその気になれば、きっと手にとるでしょう。
 ま、お母さんはお母さんの好きな本を読むから、あなたはあなたで、好きな本を読んで、ということか。親離れ、子離れだね。

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コメント

私もハリー先生のおすすめで読みました。やっぱりかん子さんだーと思っておもしろかったです。

私たちがいい本なのになーと思うものをなかなか読んでくれない子どもたち。古典の難しいものは特にそうです。そこへいけるように道筋として読むことを続けて欲しい、これもおもしろいけどこっちも読んでるとはまるよ、という風にもっていきたいです。
『よい本しか読ませない』というのは傲慢じゃないのと思う気持ちもすごくあるのです。おもしろいかどうかは本人が決めることですものね。
それでもやっぱり、本は食育と同じだから安易なものは選んではいけないとおっしゃる脇明子さんの本も読んで、両方をよく自分で消化していきたいと思います。

(甘ったれた大人も子どもも増えているというのは私もそう感じているのですが・・)

マーガレットさん

いつも大勢の子どもたちとじかに接していらっしゃるマーガレットさんやハリー先生の言葉は、説得力があります。わたしは、密に接しているのは息子ひとりで、あとは、絵本を読むなり、おはなしするなりの一方的なかかわりしかしていないので、子どもの実際の姿ではなく、頭の中で描く子ども像を見ているかもしれません。

「そこへいけるように道筋として読むことを続けて欲しい、これもおもしろいけどこっちも読んでるとはまるよ、という風にもっていきたいです。」という、マーガレットさんの言葉、うんうん、そうだと思いました。

脇さんとかん子さんは、おふたりとも子どもたちのことを真剣にかんがえていらっしゃるけれど、両端のご意見をお持ちだと思います。

かたよらずに、両方をとりいれていけばいいと思うのです。私自身、あまり文学的すぎる本は理解できないので読みませんし……。ただ、かん子さんの場合、ことさら極端に書くことで、文学的じゃなくちゃダメという方たちに、爆弾を落としているような気がするのです。本当は古典も読んでといいたいのに。というのは、よみちがいでしょうか?

こんにちはharryです。
さくまゆみこ氏の持論で「本は窓である」ということから考えてみると、窓を用意し、すこ~し開けておいて、どんな世界があるかをチラ見せするところまでが、私たち大人の役目のギリギリかと思います。
窓を開けて、その向こうに広がる世界に入っていけるか、いけないか。その子の成長の度合いや、その時の気分など、いろいろなものがうま~くかみ合ったとき(just fitしたとき)、子どもは本の世界へドップリ浸かれるのではないかなぁと思います。子どもってタイミングが良いと、どんなことでもものすご~くノッてきますよね。
 私事ですが、私は大学までロシア文学を読まず嫌いしていました。でも、大学の時につき合った彼が、ドストエフスキー好きだったのです。彼に話を合わせようと、必死で読みました。作品について彼と話が出来たとき、すっごく嬉しかった思い出があります。
 読書の幅がひろがるきっかけは、どこにでもあって、親ががんばらなくてもいいのかもしれません。
 な~んかへんてこな乱入の仕方をしてごめんなさい。ともあれ、親子で一緒に本屋へ行って、お互いに木にあった本を教え合うなんて~のもいいかもしれないですね。子どもの興味がどこを向いているのかわかるかもしれません。

すみません、誤字発見。
>お互いに気になった本を…の間違いです。
「木にあった本」って、本屋はジャングルじゃないっつーの!

harryさん

「窓を開けておく。」おお、いい言葉ですね。その窓に無理やり子どもの首をおしこんだり、さらに、窓の向こうへ子どもをいきなり放りこんだりしないということですね。ただ窓を開けておくのが大人の役目かあ。よくいわれることですが、「大人は手と口を出さずに見守る」と同じことですね。これは、かなり忍耐のいることなのでした。それでつい要らぬことを……。

 子どもたちを取り巻く環境が変わり、子どもたちが変わり、子どもの変化に歯止めをかけようと大人はいわゆる良書の読書を薦めたくなります。けれど、かん子さんは、そうではなくて、子どもの変化に合わせるようにと、いっているのではないかと、あれから『子どもに本を買ってあげる……』を読み返しながら、思うのでした。

 親は、自分の子どもの姿が、自分が思い描いている姿と違うと気づくのが、とても怖かったりします。だから、目を閉ざし、無理やり自分の描く象にしようとする。そこから、問題が起こってくるのかもしれません。

ドストエフスキーのおはなし。ふふっ、愛の力ですね。いろいろな経験で幅をひろげるのですね。

子どもの薦める本を読んで、こちらも今を学ばなくちゃです。

私は母が勧めてくれた本を読み始めて読書を好きになりました。勧められた本はいわゆる「古典」でしたが、本当に楽しく読めました。
別に母の勧め方がうまかったわけではないと思います。「わたしこれ好きだったんだけどどう?きっと好きだよ」程度の説明でした。しつこく押し付けるのでなければ、自分の好きな本を読んでほしいと渡すのは全く問題ないと思います。
個人の意見ですが、赤木かん子さんの持論が自分の意見と食い違った場合は切り捨ててよいものだと思います。小学生のとき赤木さんが著書の中で「大きな森の小さな家」をこてんぱんに叩き、その本を好きな人を小馬鹿にするようなことを書いていたのを読んで、「子どもの本について大人がいい悪い騒ぐのは良くないっていってたやん、わかってくれてると思ってたのになあ」とがっかりしたことがあります。それ以来わたしは赤木さんの「この本はいいよ」は信用していますが、「この本はだめだ」は信用していません。
言いたいことがうまくまとまりませんでした。ごめんなさい。。ようは経験から、ここまでは大人の役目だ、ここからはしては駄目だ、なんてことは、本を前にして全く関係ないものだと思う、ということが言いたかったはずなのですが。

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