今、よむ本。
ハリー先生にゆずっていただいた「中坊のリアル本」のなかから、まず息子がいちはんに目をつけた本から親子で読んでみた。
『魔王 (講談社文庫) 』伊坂幸太郎作
※実際に読んだのは、図書館で借りたので、単行本です。
「魔王」と「呼吸」が収録。
安藤兄弟は、子どものころ交通事故で両親を失った。「魔王」は兄が主人公、弟は「魔王」から5年後、弟の潤也と妻の詩織が主人公になる。
「魔王」
安藤(兄)は、心に念じた言葉を他人にいわせる不思議な能力があることに気づく。そのころ、ひとりの若手政治家が人々の心をひきつけていた。だが安藤はなにかしら恐ろしさを感じる。
「呼吸」
弟の潤也は詩織と結婚し、東京から仙台に越し、環境調査をする会社につとめている。夫婦は、テレビや新聞など、メディアを遠ざけて暮らしているため、社会事情に疎くなっている。だが、世間では、憲法改正の国民投票が近づいていた。
とくに「魔王」では、集団心理の力の大きさ、恐ろしさが描かれている。
たとえば、学校でクラス対抗の大繩大会があり練習がはじまる。はじめは数人が参加する。そのうちひとりずつ参加者が増えてくる。クラスのほとんどが楽しそうに、がんばって練習しはじめると、しだいにサボるのは許されない、という雰囲気がでてくる。とうとう、縄跳びなんかするもんか、とさめていた子も仲間になり、クラスが一致団結し、大会の当日に全員で臨む。すばらしい!
ところが、大会では隣のクラスに僅差で負けてしまう。悔しい! 翌日、隣のクラスはズルをしたという噂がどこでささやかれる。本当のことかもしれない。誰かが冗談でいった一言からはじまった噂かもしれない。出所がわからないまま、噂はひろがる。隣のクラスへの敵対心が生まれ、隣のクラスのやつらはみなずるい、許せない! という意識が生まれる。
A子には隣のクラスに親友がいる。その子にとって今も大切な友だちだ。今までどおりにいっしょに下校する。隣のずるいやつと親しくするのは許せない! クラスでは、A子へのシカトがはじまる。それ以来、だれも、隣のクラスの子と親しくするものはない。クラスは団結している。恐ろしい!
わたしの勝手な作り話で、たとえが長くなってしまった。
だが、こんなことを読み手につらつらと考えさせるのが、この作品なのだ。兄のほうの主人公は、いつも「考えろ、マクガイバー」といって、考えるのが好きなのだが、この本を読みながら主人公とともに考えていると、彼の思考癖がうつり、読後も考えつづけてしまう。
さらに、なんとなく未完のまま、不完全燃焼で終わっている感がある(息子もすごく面白かったけれど、ラストが決まっていないと感想を述べていた)のも、読後の考えつづけてしまうゆえんだろう。「考えろ、マクガイバー」なのだ。
初出は、1作目が2004年12月、2作目が2005年7月(2作とも雑誌「エソラ」)と近年に書かれ、現代の世相と、ええっ、そんなこと書いていいの? というぐらいはっきりシンクロしている。
単行本のあとがきには、「小説の中のできごとやニュースは全部、作者の想像で作られたものです。読んだ人が真に受けて、失敗などされなければいいな、と思っております」と書かれており、確かに現実と混同しそうと笑えた。
社会音痴のわたしは、もしかしたら、かなり混同しているかもしれない。「呼吸」では、国民投票法(この作品が書かれたときは定まってなかったようだ)、憲法改正について、勉強させてもらったし、いま行われている政治のからくりがちょこっと見えたような気がした。
今が旬の作品だ。しかも賞味期限が近づいている。いま読み、読後、自分で考え続けたい。
さて、話はまた集団心理に戻るが、KYという言葉が生まれてくること事態、危険な傾向かもしれない。ところで、KYには2種類ある。まったく純正のKYと、空気を読み取っているくせに知らんふりをするKYと。こんな、理屈っぽいことを考えてしまうのも、この作品の影響で、実は、すでに作者の渦巻きにまきこまれているのかもしれない。
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