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2006年6月 2日 (金)

ザ・ギバー

 よく知られた作品で、何度も読もうとして本を手にしてみるのだけれど、そのたびに、表紙にある老人の顔写真から、洞察力の鋭い視線を感じ、恐ろしくなって本を棚に戻していた本。勇気をふるってようやく読んだ。

『ザ・ギバー』
 ロイス・ローリー作
 掛川恭子訳
 講談社

 11歳のジョナサンはあるコミュニティーに暮らしている。コミュニティでは、子どもは毎年12月に儀式を受ける。12歳に儀式で最後だ。この儀式で職業が決まる。コミュニティの長老たちが決めた、その子どもに最も適した職業が発表され、翌日から、子どもたちは職業訓練を受ける。
 その年も儀式の日がやってきて、ジョナサンは「記憶を受けつぐ者」に選ばれてしまう。「記憶を受けつぐ者」は、コミュニティにたった一人の存在で、前任の「記憶を受けつぐ者」、つまり今では「記憶を伝える者」から、隔離された場所で訓練を受ける。訓練の初日、迎えでた「記憶を伝える者」は、かなり年老い疲れきっているように見えた。

 はじめ、ジョナサンの暮らすコミュニティは、すこし風変わりではあるけれど、落ち着いていていい感じに思える。でも、どこかしら不気味さが漂う。夕飯後、家族はその日の夜の気持ちを語りあい、互いを慰めたり励ましたりする。これこそ理想的な家族の姿だ。けれども、その家族の会話がフィーリングと名づけられ、日常的習慣として決められているのは、なんだか妙ではないか。
 こうしてジョナサンの暮らしをおって読みすんでいくうちに、この表面的には理想的なコミュニティのおそろしい実態が少しずつ露見してくる。コミュニティには細かい規則がやたらと多い。無作法を取りしまるなんて法もある。人々は穏やかで、たがいを尊重しあって暮らしているように見えて、どこかよそよそしい。

 それでも、このコミュニティの社会体制は、理想的に見える。養育係がいるから、育児と仕事の両立に悩む親はいない。個人の個性にあった職業が決められるから失業問題もないし、老人は「リリース」といわれる日まで「老人の家」で敬意をはらわれて暮らすから老人問題もない。
 実は、こうした悩みのない市民の暮らしを手に入れるために、コミュニティは人々と自然になんらかの操作をしていたのだ。そのしわ寄せがどこにいったのか? なにが犠牲にされたか? 「記憶を伝える者」からさまざまな事実を知らされ、驚き苦しむジョナサンとともに、読者は、人間、社会のあり方について、考えることになる。

 この作品は、なんでも自分の都合のよいようにコントロールしようとする人間のおごりに警鐘をならしている。ラストは、社会変革を願うジョナサンの企ての成否が書かれないままに終わる。つきはなされたようで、読後感は不完全燃焼気味。だが、この先の見えない終わり方こそ、わたしたちがいまいる状態だ。変化し続けるわたしたちの社会をよく見極め、どうしたらいいか、自分の頭でで考えてほしい。本からそんな声がきこえてくる。

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